佐渡裕 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 武満徹:フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 [Blu-ray]
録音が、これまたスゴイ!
私が今までの聞いて見てきたクラシック音源の中で、文句なしに一番よい録音。特にしっかりとした5.1CH環境で聞けば、それは歴然と判るはず!小澤BPOのチャイ6のBLも持っているが、同じBLと言えど、比べ物にならないくらい、こちらの録音はスゴイ。小澤BPOのBLの録音も決して悪くなく録音は非常に良いのだが(CDより断然いい)、こちらの佐渡BPOの録音が良すぎるといった感じ。一説によると小澤BPOチャイ6の録音は、グラモフォンがやったというが、この佐渡BPOの録音は、パンフを見る限りNHKだろうか?もしNHKだとすれば、NHKの録音エンジニア、恐るべし!
演奏については、佐渡はしっかりと曲をまとめているし、とても聞きごたえがある。演奏会自体も成功させていると思う。ただし佐渡の初指揮という事もあって、会場には多くの日本人が集まっていたらしく、そういう意味での日本人からの声援などが、大きな喝采となって鳴り響いていたように思う。一曲目のフロム…という曲は打楽器ばかりの、演奏も解釈も難解な曲であって、それに対する演奏後の会場からの拍手は、佐渡の指揮に対するものというより、その難曲を見事に演奏しきった打楽器奏者たちに送られた喝采のようだ。それは、次に演奏されたショスタ5番を演奏し終わった後に、打楽器奏者たちが、他のパートより多くの喝采を浴びる事をみてもうかがえる。
佐渡は今回の招待指揮を成功させはしたが、映像を見る限り、BPOの楽団員を陶酔させるまでには至らなかったようだ。今回の演奏ではBPOも、各パートのファースト(ソロを吹くような役割)を比較的若手に<試し>でやらせているようでもある(そうとは言ってもBPOの楽団員であるからに、演奏自体は当然のごとく超一流である)。BPO側の<往年のマスタークラスの奏者を出さずとも…>のような佐渡に対する姿勢が垣間見えるようでもある。
演奏後の喝采も、会場にいた日本人からの喝采も多かったということから、喝采の大きさ=佐渡への評価と見るのは、いささか早々であろう。演奏中のBPO楽団員の表情や視線などを見れば、指揮者に完全にコミットした<渾身の演奏>とまではなっていないもようで、自らの有り余る技術によって<こなしている感>があるのは否めない。演奏終了後の楽団員の表情からも、これらはみてとれる。
今回の佐渡のBPO指揮について<成功>という表現は使われるものの、<大成功>とういう表現が控えめなのも、それらが要因かもしれない。これに比べるのは酷ではあるが、2、3年ほど前に、カラヤン生誕100周年を祝うBPO演奏会で小澤が振ったチャイ6<悲愴>の映像をみると、小澤に対してBPOのメンバーが感情的にも移入し、心からコミットしているのが見て取れる。奏者も<我こそBPOの表現者、具現者>たるトップ奏者を揃えてきている。やはりカラヤンやバーンスタイン、ミュンシュなどに師事し、多くの苦難を乗り越え、半世紀以上も世界の名だたる指揮台に立ってきた<世界の小澤>との格の違いか。
ただそうとはいっても、BPOから正式にオファー受けた佐渡であるし、また佐渡の相手は他でもない世界最高峰、あのフルトヴェングラーやカラヤンが育ててきた超絶集団のBPOである。招待する相手にはその<資質>と<格>があるか、BPO側の厳しい<査定>がある。いまBPOのコンサートマスターの一人を日本人が務めている。以前長らくコンサートマスターを務めていた日本人が退任し、今回新たな日本人コンサートマスターが誕生したのも、今回の佐渡招待の一つのきっかけになっとは事実であろう。
酷評をいくつか並べたが、佐渡の真摯な指揮ぶりと曲に対する姿勢、そしてBPOの演奏には、それはほかに代え難い見ごたえがあるのも事実である。とくに大汗を流して振ったショスタ5番には、BPO指揮に至るるまでの<佐渡の想い>が、濃厚に凝縮された、佐渡にとって渾身の一振りと言えるだろう。
堂本剛 ベルリン
PS連載当初は25歳くらいという若いころのカッコいい剛の写真がたくさんあります。
私はファッションそのものは疎いですが、自分らしく生きたい、という剛のメッセージが伝わってきます。
また、最初は奇抜ともいえるファッションだったのが、30歳に近くなるにつれ、考え方とともに変わっていく、剛の生き方がそのままファッションに現れていて、その経年変化が辿れて、とても興味深いです。また、成長していく姿に励まされます。
最後、ベルリンでの撮影も、素直に素敵な写真を楽しめるし、ベルリン行ったときに持って行きたいなと思いました。
Complete Symphonies
ショスタコーヴィチの全ての交響曲に完璧な演奏などできるわけもないが、この全集は相当に水準が高い。まずは第一に指折るべき全集だろう。
ヤンソンスはいまやオヤジ・アルヴィド・ヤンソンスのキャリアを遥かに超えて、資本主義世界の指揮界でも一、二位を争うまでとなった(社会主義指揮界など、いまやないが)!
ゲルギエフが破竹の勢いでショスタコのシンフォニーを演奏していたのが、2000年前後だったが、今日、結果的にみるとヤンソンスのほうがよい仕事を残しているようにもみえる。
それがこの全集だ。もちろんゲルギエフは、4、5、7、8、9番といったところしかレコーディングしていないようなのでトータルでは比べられないが・・・。
7番『レニングラード』はゲルギエフに軍配を挙げたくなるが、その他を含めた総合ではヤンソンスは大したものだ。8番はムラヴィンスキー、9番はロジェストヴェンススキーといった横綱と比べると辛いが、いずれも高水準である。
おまけとしてついているジャズ組曲でも、第2番の「ワルツ」がよい! 第2番からこれだけを抜粋して入れた意味がわかるほどの名演。通俗的な作品だが、しみじみと泣かせる演奏である。
輸入盤であれば、格安とはいかないまでも大変リーズナブルであり、20世紀最高の芸術家ショスタコーヴィチの仕事を通覧するうえでの不可欠のライブラリーを構成する全集といえよう。録音もまずは問題なし。
The Strawberry Statement [VHS] [Import]
この、胸の奥からこみあげてくる熱いものは、何なのだろうか?
リバイバル公開で『いちご白書』を観た。(順次全国公開予定という)
正直、観に行く前は、「あの時代」の空気を捉えた優れた映画のひとつだろう、という程度に考えていた。
そもそも自分は、学生運動など体験していない世代だし、大学生の時もそんなものに興味もなかった。
だから、こんなにこの映画に共鳴してしまうとは思ってもいなかった。
『いちご白書』は、学生運動の映画なのだが、それ以上に、何よりも素晴らしい「青春映画」だったのだ。
主演のブルース・デイヴィソンとキム・ダービー(『勇気ある追跡』!)の若い二人のはつらつとした演技。監督、スチュアート・ハグマンの青臭いくらいの演出。その才気ばしったカメラワークと、実験精神横溢する編集テクニック。あの時代を彩った、甘酸っぱい音楽の数々。
すべてが瑞々しく、若いパワーと歓喜のエネルギーにみなぎっている。
あの、怒りに打ち震えるクライマックスの凄まじさの前にも、決して色褪せない青春の輝きが、この映画の中には満ち溢れているのだ。
オープニングを飾った、バフィー・セント・マリーの素敵な素敵な「サークル・ゲーム」が、ラストに再びかかった時、不覚にも落涙しそうになっている自分がいた。
もう少しで、思わず拍手をするところだった。しちまえばよかったのに(笑)。
この映画は、世界のどの国でもまだDVD化されていないという。
しかし、今回、晴れてニュープリント上映したからには、来年早々には国内DVD化するのでは?と期待して、配給元に問い合わせたところ、残念ながらDVD化の予定はない、との答え。海外も含め、との事だった。その答えに落胆してしまっていたのだが・・・何と!意外なところで朗報が!
ツタヤが最近始めた、オンデマンド方式(DVD−Rフォーマットの注文式のソフト)で、『いちご白書』が奇跡のラインナップに!
当然アマゾンでは取り扱いはないが、ファンには嬉しい知らせなので報告したい。
ただ、今回のニュープリント版と同じマスターなのか(おそらく違うのでは)?実は今回のニュープリントは、当時のスラングをちゃんと調べ直した「こだわりの」字幕訳らしいのだ。そうしたファンを喜ばせてくれる要素が、どこまで反映されたソフトなのか。画質はいいのか?
不安はいくつか残るが、とりあえずは、世界初(?)のDVD化に拍手!
【追記】TSUTAYAオンデマンド版ソフトについて
筆者が注文したものが届いたので、リポートしようと思います。
まず、注文式のシステムなので、最大2週間ほどかかると言われていますが、発注から丁度1週間で商品が届きました。
そして、気になるソフトのクオリティーですが、ひとつ残念な報告をしなければなりません。このDVDは、既発のビデオソフトと全く同じもので、同じマスターを使用しています。同じ画面で静止画像にして、ザッピングして確認したので間違いありません。字幕の訳も書体も位置もサイズも、全く同じです。そして何より、画面が4:3で両端がバッサリ切られてしまっています。(オリジナルはビスタです)。画質もビデオソフトのクオリティーです。しかもビデオ版と比べて画面が暗い方向に転んでいて、暗部がつぶれてしまっています。カットによっては、プリントの色が穢いところもあります。なので、すでにビデオソフトを所有されている方は、かなりガッカリするのではないでしょうか。
なぜこのような事になっているのか?現在リバイバル公開中の、ニュープリント版を配給している会社に以前問い合わせた時、国内でも海外でもDVD化の予定はない、と言われました。おそらく映画内で使われている楽曲の著作権がからんでいると思われます。そしてソフト販売をするためにそれをクリアーしているものは、かつてビデオソフトとして発売されていたマスターのみ、と解釈しました。映画の中身は変わらないのだから、ニューマスターだろうが旧マスターだろうが同じじゃないか、と思われるかも知れませんが、著作権の世界はとても複雑です。おそらく上記のような理由と思われます。ただ、決して見るに耐えないような酷い画質ではないので、この映画に特別な思い入れがあって、手元に残しておきたい、という方にとっては、DVD化されただけでも嬉しい事ではないでしょうか。
順次、全国で公開中のニューマスター版は、当時の学生たちのスラングを忠実に再現したこだわりの新訳版ということなので、ソフトを購入された方でも、お近くの劇場で上映されていれば、ご覧になる事をお勧めします。
さて、本DVD版の訳で補足しておきたい事がひとつ。映画冒頭で、青い文字が流れていくところが全く翻訳されていませんが、これは重要なので拙訳ながら以下に記します。
【この映画の製作者は、本作の製作にあたり、サンフランシスコの市民の方々、及び匿名で協力して頂いた都市に深く感謝の意を表します。協力して頂けなかった都市は・・・たぶん「いちご」は重要じゃないとお考えなのでしょう】
『いちご白書』の「いちご」は、NYコロンビア大学の経営者が言った、「学生たちの言っている事は、いちごが好きだとか言うのと同じくらい他愛のないものだ」という言葉が由来で、これが学生たちの闘争本能に火をつけて、この映画の元になった「コロンビア大学闘争」に発展してゆきます。
おそらく、ニューヨークもこの映画の撮影に「協力してくれなかった」都市で、この冒頭の言葉は多分に皮肉を含んだもの、と思われ、これがスルーされているのは重大なミスと言わざるを得ません(ニュープリント版はちゃんと訳してました)。
鳴り物入りで始まったTSUTAYAのオンデマンドDVD、他のソフトのクオリティーはどうなのでしょうか?慎重にリサーチを進めてからの購入が望ましいようですね。
ベルリン・天使の詩 デジタルニューマスター版 [DVD]
天使は愛らしい少女でもなければ子供でもない。黒い服を着たおっさん。
天使はそこらじゅうにいる。ベルリンの図書館で、電車の中で、街角で、タクシーで映画の撮影所で、ベルリンの幾多の人々の心の声にそっと耳を傾ける。それは希望、絶望、いたわり、憎しみ。そして天使はときどき肩を抱いてくれる。モノクロームの画面からは天使の視点から、客観的に、人間の世界が描かれる。ただモノローグだけが流れる。とても人間の世界が虚しく見える。
サーカスの女性に恋をした天使(おっさん)が人間になりたいと願い、羽を失った瞬間から世界は色を帯びる。人間の心の囁きに代えて、空気の冷たさ、空の青さ、コーヒーのぬくもり、私たちがあたりまえに感じているものが、人間になった天使の歓喜の視点で語られる。それはとても心躍ることだ。恋をし、体温を感じ、ただ生きていることはなんと彩りに満ちた素晴らしいことか。
かつて自分も天使から人間になったハリウッド俳優が、おっさん天使に言う。
「周りには結構いるんだよ(天使から人間になった連中が)」
私の傍にも天使がいるかもしれない。そんな不思議な、でもありそうな言葉にただ静かな涙がこぼれた。理由は私にもわからないけど、静かに泣いた。