われらはみな、アイヒマンの息子
犯罪被害者としてその関係者として、犯罪の首謀者やその関係者に対する筆者の怒りなどの気持ち、意見は分かる。ただ、二つ目の手紙から特に冷静さをなくしてしまったように思う。「われらは」という視点がなくなってきて、ただ犯罪者を断罪しているだけのようにも感じてしまった。それもひとつの視点とは思いつつ、読後感は良くはなかった。
イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告
アーレントは、この裁判のレポートを公表することで、ユダヤ亡命者グループから大いに批判される立場となった。そのことを承知で書いたのだ。
アイヒマンが、どんなに陳腐であるか、それは、あまりに繰り返し繰り返し出てくる。一体誰が、悪を「意図して」実行したのか?犯人探しに苦慮するイスラエル特別法廷のレポートを詳細に書きながら、アーレントは、しかし、実際に起きたナチスによるユダヤ人迫害の詳細な検討を同時にしている。
そこには、最初の抵抗、殺人が行なわれていることを知ったときにどのように反応したか、によって、大きな違いがあることを浮き彫りにしている。ベルギーで、フランスで、イタリアでは、強制収容所送還は、頓挫した。殺人が行なわれていることを知った人々が、協力をやめ、実行せず、抵抗したからだ。
アーレントは、一部ユダヤ人のイスラエル脱出者を条件に、ナチスと協力したユダヤ人社会をたんたんと描き出す。
事実として起こった、集団虐殺、しかし、それを実行し、それに協力した人たちが、何を見て、見なかったのか。
そんな思いで読み進めると、気分は、本当に重くなる。
今の日本でも、原発行政の実態が、実は、そんな風であったことが、やっと。。。暴露されつつある。しかし、事態はまだ変わらない。アーレントの提起した課題は重い。
スペシャリスト~自覚なき殺戮者~ [DVD]
途方も無い映画である。
実際の裁判の映像というものは、一般的に退屈である。徹底的なまでに形式化された言語の応酬のゆえに。アイヒマン裁判の映像を下敷きにした本編の場合は?徹底的に編集された映像、不気味なまでに臨場感のある雑音(紙を繰る音、傍聴人のざわめき、などなど)は異様なほど緊張感を与えるため、退屈とは無縁である。
何より、アイヒマンの経歴が「凄い」。SSの責任者として何万人も収容所に送り込んだヒトラーの「忠良なる」官吏。検察側に責め立てられても「命令に従っただけ」「時代がそうさせた」を繰り返す姿は哀れを誘う。哀れ?アーレントを引用するまでも無く、歯車としての小役人が邪悪なる目的にコミットした場合どうなるのか、がそこにはあからさまなまでに記録されている。遠い過去の話?そんなことは決してない。組織において生きる人間にとり、大なり小なりふりかかるテーマなのだ。
論点は多岐におよび、とても800字では収まりきらない。それだけの内容と重さを蔵した映画である。それにしても、この裁判の教訓をイスラエルは生かしきれているのだろうか???必見の一作。