「心のうた」~癒しの歌声~堀江美都子BESTデビュー35周年記念盤
「心のうた」この美しい曲をなんと円熟しきったミッチのリプライズできけるなんて・・・ホントにすばらしかった。「さすらいの太陽」の再放送で燃えた私にとっては最高以外の何者でもない。30年近いリプライズでのミッチの歌声は、その密度も高く内に込めるその想いもしみわたり・・・これは他のやつにはわかるまい・・・ともかくすばらしい出来です。買ってよかった!
R.シュトラウス:ばらの騎士
確かに、この録音を聴けば、エーリッヒ・クラーバーが《ばらの騎士》を得意としたことはよく分かる。全曲を通して速いテンポ、音楽によどみがなく、ウィーン・フィルの表情は豊か。《ばらの騎士》のサウンドとしては申し分ない。この録音が発表された当時、多くのオペラ・ファンが驚喜したことだろう。しかし、ドラマに不可欠な心理描写は、まったくといっていいほど無い。第1幕のマルシャリンは、オックス登場前と後では心理状態が変わるのは何故かを、またオクタヴィアンは第2幕の冒頭、ゾフィーに一目惚れする瞬間、何を感じたのかを、またさらにゾフィーは、オクタヴィアンがマルシャリンの愛人であったことを受け入れなければならないが、その試練をば、エーリッヒ・クライバーの《ばらの騎士》には聴くことはできなかった。まるで長大な交響詩を聴いている感じがする。そして、歌手たちはそれを盛り上げるためだけに歌っているように聞こえる。ただ、第三幕の三重唱・二重唱は美しかった。1954年、DECCAの歴史的録音。
火群のゆくへ―元楯の会会員たちの心の軌跡 (柏艪舎ネプチューンシリーズ)
三島事件の時私は小学校4年生であった。学校から帰ると三島と同世代の父が興奮気味に「これからどうなると思う」と、三島の「み」の字も知らぬ私に問いかけたことを今でも鮮明に記憶している。当時はなにも解らなかったが、高校生の頃から三島の小説をたくさん読んで、そして彼の思想も研究した。しかし、彼の文学には惹かれはしても天皇崇拝を中心とした思想は理解できず、ましてや何故あの日あの場で切腹までしなければならなかったのは全然解らないまま時は過ぎていった。「火群のゆくへ」は三島が結成した民兵組織「楯の会」の元メンバーたちの三島と、彼とともに切腹した森田必勝への回想、証言を丹念に集め、当時の状況をリアルに再現している。そこには当事者しか解らぬ内部の人間模様、ドラマが多々描かれている。特に最後の決起をともにした人の証言は貴重である。また、決起に選ばれなかった者のうち二人が野村秋介とともに経団連襲撃事件を起こした経緯も初めて知ることができた。以上から、三島由紀夫という類い希な個性を持った人間にいささかでも興味がある人には必読の書であろう。ただ1点の不満は三島の男色については全く触れられていないことだが、「元楯の会会員たちの心の軌跡」という副題に似つかわしくないので割愛されたのかもしれない。それにしても三島がもしも生きていて、今の日本をみたらどう思うだろう?彼が死を賭して訴えた改憲が現実になろうとしている(私は改憲に大反対です)が、1970年頃よりも遥かに腐り果てた政治家どもが支配する、アメリカの属国に落ちぶれ果てたこの国に、三島由紀夫なら絶望したのではないだろうか。(敬称略)
二期会メンバーのプリモ・ウォーモたちによる美しき日本語の歌 心の歌
二期会のプリモ・ウォーモたちによる「日本語の歌」です。山田耕筰の歌曲があれば、武光徹もあり、そしてシューベルトの「美しき水車屋の娘」の松本隆の訳詞もあり、さらには谷村新司の「昴」や「千の風になって」(これはテノールの勝田友彰が歌っていてまた違う軽やかさ)もあり、おそらくそれぞれの歌手が自分らしいもの、得手と思われるものを選んでいるのでしょう。立川清登や中山悌一のような故人の大御所から、若い世代の羽山晃雄、宮本益光まで、じつにさまざまな声と語りかたが味わえます。
クラシックの歌手といえば、何を歌ってもベルカントで朗々と、だと思われるかもしれませんが、このアンソロでは全くそんなことはなく、軽みをきかせたり、こぶしをまわしたり、といろいろ。「昴」はテノールの高野二郎によってポップスの発声で歌われていますし、何といってもびっくりしたのは、黒田博の歌った八代亜紀の「舟唄」です。必ずしも演歌調ではないのですが、ハイバリトンの深くてのびる声が歌い上げる、哀調を帯びた独特の「歌謡」になっています(昨年、ふたたび清艶なドン・ジョヴァンニを聞かせてくれた黒田博ですが、ソロアルバムがないのは残念)。この「舟唄」と、中山悌一の「魔王」「荒城の月」が初CD化音源ということで、さすがにこの三曲は出色です。なお中山悌一全集で出ていた「荒城の月」はピアノ伴奏でしたが、ここではオケ伴、荘厳な雰囲気の中に、比類ない予言者のような日本語が響きます。
もちろん歌詞カードもありますが、致命的と思われるのは、録音日時のデータがないこと。貴重な資料でもある一枚なのに、その点が惜しまれます。