羆嵐 (新潮文庫)
これはホラー小説ではない。しかし、恐ろしさにおいて、この小説を上回るものに、私はまだお目にかかっていない。
大正4年に、北海道北部の苫前町から奥地に入った六線沢という開拓部落で、実際に起こった、羆(ヒグマ)による男女6人殺害の記録である。
冬ごもりする穴を見つけられずに彷徨する羆を「穴持たず」といい、そのような羆は、雪中に餌を求め凶暴になる。羆は、まず島川宅を襲い、妻と子どもを殺害、妻の遺体を持ち去る。そして通夜の席にまで現れる。集落の者は恐怖の夜を過ごし、警察、軍隊までも出動を要請される。
最後は、銀四郎という老練な熊撃ちと羆のたたかいになるのだが、吉村昭はこの凄惨な事件を、順を追って淡々と書き記す。その筆致が、読む者をも六線沢の現場に居合わせたような臨場感に引き込むのである。
関東大震災 (文春文庫)
まだ私が幼い頃、祖母が関東大震災の話をよく聞かせてくれました。
幼い孫にどうにかして地震、そしてそれが引き起こす火事の怖さを伝えようとしていたのだと思いますが、
祖母はいつも何かもどかしさを感じていたように見えました。
本書を読み、そのもどかしさの一端が分かったような気がします。
その当時の恐ろしさ、パニック、混乱を表現できる言葉が見つからなかったのではないかと。
いくら強い言葉を並べてもその恐怖のかけらにもおっつかない、それがもどかしい素振りに出たのではないかと。
本書は関東大震災を体験された方の証言や当時の報道をもとに被害状況や社会情勢を淡々と語っています。
あまりの凄惨さにややもするとフィクションを読んでいる気になってしまうのですが、
それが現実に起きたことだと思い返すたびに溜息をつかざるを得ません。
私が本書を通し、活字から受けた脅威ですら言葉には表せません。
「被服廠跡では、逃げようとしても倒れた人が服を掴んで離さなかったんだよ」
そう語った今は亡き祖母からもう一度、話を聞きたくなりました。
三陸海岸大津波 (文春文庫)
想像を絶する津波が町を飲み込んだ・・・連日テレビではこのように放送されているが、はたして本当か?
この地域は明治、昭和の時代にも大きな津波に何度となく襲われている。もちろんその前にも記録はあるだろう。
1000年に一度とかなんとかは完全にうそっぱちである。
自分の住む町の歴史を少しでも興味を持って知っていれば過去の津波の規模やそれを上回る津波も想像できそうだが
この事実を知る人はなぜかもの凄く少ないようだ。
今回の地震と津波の直後にこの本を思い出しもう一度読みたくなった。
吉村作品の中で海に関する作品では漂流物が多く、海の恐ろしさは常に
海原の真ん中での飢えや病だったが、この地域においては陸にいても海は恐ろしい怪物である。
休暇 [DVD]
テーマの抱える重みとともに本当に、静かな映画でした。
子連れの女性と結婚することになったベテラン刑務官が、新婚旅行のための休暇を得ようと、死刑執行の支え役を買って出たことからわき起こる様々な葛藤が、刑務官と死刑囚のリアルな日常描写とともに静かな緊迫感の中で綴られます。
静かに話が進んで行き、処刑のシーンも静かに同じテンポで進むんですが、その分衝撃が大きい。普通の一般人には想像を越えた死刑が執行されるまでの裏側。小林薫、大杉漣、西島秀俊など芸達者キャスト揃いで、セリフがなくても スクリーンに 映ってるだけで、いろんなものが伝わって来たり見えてきたりします。そして、判断や 印象・感想は、観た人それぞれにゆだねています。
私個人的には、死刑制度に関しては廃止論者ではありません。ただ、仕事とは言え、彼らにこんな重い傷を負わせていいのかと思う。本作のコピー『生きることにした。人の命とひきかえに。』がズシリと重い。せめてもの救いは、主人公と再婚相手とその子供の幸せそうな姿。
仕事をしっかりやっただけのことなのに、この傷を背負いながら幸せであって欲しいと願わずにはいられません。
遺恨あり 明治十三年 最後の仇討 [DVD]
素晴らしい作品だった。
私はこの話を末長く後世に遺したいと感じた。
幕末・維新というある種異様な絶頂感の支配する
異常な時代にあって、武士の美徳と近代国家の法がせめぎ合う。
藤原竜也の抑えた演技が、全編を通して画面から緊迫感を滲み出させる。
彼こそは、言葉を発せずに背中で演技の出来る数少ない稀有な役者である。
臼井六郎は仇討ちが成し遂げられるのか?
彼は悲劇の夜からどのように思い、行動するのか?
悲劇の主人公・臼井六郎を取り巻く人間たちの対応は?
史実をもとに、一部脚色も交えての映像化だそうだが、『最後の仇討』と
あるが如く、その緊張感が生々しく伝わってくる。
史実に忠実な部分と脚色部分がどこなのか知らないが、私が思うに、
臼井六郎は山岡鉄舟と本当に会っていたのか?
臼井と対峙する吉岡扮する判事の中江は、中江兆民のパロディなのか?
という疑問が残った。
特に中江は、理想主義者で、劇中でも東洋のルソー・中江兆民の『民約訳解』
を読んでいる場面があったし、土佐藩の郷士という共通点も…。
刀とは無縁の今を生きる我々にも、時代とは、人間とは、日本人とは……
と語りかけてくる重いテーマ。