小説十八史略(五) (講談社文庫―中国歴史シリーズ)
本巻は、隋の煬帝の失政とその哀れな最後、その後群雄割拠の時期を経て、唐が中国を統一し、武則天による中断を挟むものの、太宗による「貞観の治」、玄宗による「開元の治」を中心に大帝国の絶頂期を迎えたのもつかの間、権力の腐敗が忍び寄り、安史の乱が勃発、顔真卿・郭子儀ら忠臣の獅子奮迅の活躍もあって安史の乱が終息するが、盛唐の時代も終わりを迎えるところまでをカバーしています。このうち、隋末・唐初の混乱期は隋等演義で取り上げられ、日本でも田中芳樹氏等の良書もありますが、多彩な人物が入り乱れて「中原に鹿を追う」波乱の時代であったことはあまり知られていないのではないでしょうか。本書では100頁以上を割いて紹介してくれます。そして意外と知られていないのは、貞観の治も開元の治もライバルの粛清から始まったという事実。食うか食われるかの時代だったのですね。また、この時代は好き嫌いはあるでしょうが、女性が華を添えた時代。武則天が中国史唯一の女帝にまでステップ・アップしていく過程には読者は引き込まれずにはいられないでしょう。彼女は優れた政治家でしたが、晩年は君側の奸の跋扈を許し、寂しい死を迎えます。奸臣が除かれ、唐が復活する場面は気分が晴れ晴れします。そして楊貴妃。親戚の不良少年あがりの楊国忠が台頭して玄宗側近の座を安禄山と争ったのが安史の乱の直接の原因。長安をのがれたところで軍がストライキを起こし、軍の要求に屈した玄宗が彼女を殺させる場面は、哀れな女の最後として本書のクライマックスと言えるでしょう。著名な人物が多数登場して波乱万丈の人生模様を織り成す本巻も、歴史の面白さを満喫させてくれます。欲を言えば、政変に巻き込まれた李白・杜甫・王維といった大詩人も取り上げていたらもっと充実した本になったでしょう。
NHK特集 シルクロード デジタルリマスター版 DVD-BOX 1 第1部 絲綢之路
とうとう買ってしまいました。
中国にまだ旅行者が自由には入れなかった時代の今は失われつつある趣のある美しい現地の映像がたっぷりと楽しめます。
でもちょっと残念なのはデジタルリマスターとあったけど、画像があまり綺麗じゃないように思えます。
小説十八史略(六) (講談社文庫―中国歴史シリーズ)
安史の乱の後命脈を保っていた唐が黄巣の乱をきっかけに遂に滅亡、五代十国の混乱期を経て北宋の時代に入るが、武より文を重んじる官僚国家の故か、遼などの周辺の国に悩まされ、遂には金に華北を奪われ、ここに再び南北(金と南宋)対立の時代を迎える。その間にチンギス・ハン率いるモンゴル帝国(元)が勃興し、金・南宋は滅亡する。本書が取り上げるのはそれだけ長い期間である。そのせいか、記述は要を得ているものの、駆け足気味なのが気になる。しかし、黄巣の乱の凄さとそれが唐に与えたダメージ、官僚国家宋の党派争いの凄まじさ等、歴史発見の面白さを堪能させてくれる点では他の巻に劣らない。中でも私に強く印象を与えたのは、北宋の風流天子・徽宗の政治面でのあまりの無能ぶり(苦しんだ民が団結する水滸伝の時代背景になったのはもっともである。そして金と結んで遼を滅ぼしたものの、金を怒らせたあまりの背信ぶり。これでは金の南進を招いたのも無理はない。)、北方民族の江南に寄せるあこがれの強さ(無理な江南侵攻を企てて失敗し、皇帝の地位を失った金の海陵王がその代表)、そしてユーラシア大陸の大半を征服したのに、意外と元が南宋制圧に苦労したことである。中国南北の自然・経済力の差はそれだけ大きかったということだろう。本書でさらに嬉しいのは、南唐後主、北宋の王安石と蘇軾の心に染みる詩を紹介してくれていることである。激動の時代の中で優れた詩が生み出されたことを我々は忘れてはならない。さて、最終巻まで読み終えた読者は中国史の面白さの虜になったことだろう。残念ながら本シリーズは明・清の時代は扱っていないが、例えば同じ作者の「中国の歴史」等、それらの時代をカバーする本は多数あるので、是非自分のお気に入りの本を見つける楽しみを味わって下さい。
実録アヘン戦争 (中公文庫)
「勝つ可からざるは己に在るも、勝つ可きは敵に在り」とは中国古代の兵法家孫子の言葉ですが、本書を読むならばこの言葉が、蓋し名言であることを痛感します。アヘン戦争の帰趨とは清朝の「患」であり、イギリスの「健」の結果では必ずしも無いのです。巨視的に見れば、斜陽衰世の清朝は制度的に見ても、社会的に見ても、最早立て直しの効かないほどの病理を抱えており、そこにイギリスのアヘンが入り込み崩れた役人の綱紀と共に、その害毒を垂れ流して、ついに戦争に至った。そして、微視的に見れば、アヘン禁絶を徹底せんと万全の体制で臨んだ林則徐に対して、政府は一致した考えを持たず、皇帝は現状維持に汲々とし、持てる力を集中しないばかりか、寧ろわざわざ捨て去るかのように、進んでイギリスの利とする所を行った。確かにイギリス軍は優勢でありましたが、清朝のこのようなてんでバラバラな行動がなかったならば、果たして勝てたかどうかわかりません。正に「勝ベ可らざるは己に在」ったのです。それではイギリスが兇暴な清朝に立ち向かう、尊敬さるべき存在であったかといえば、当然それも否です。著者はイギリス兵が行く先々で起こした淫虐な蛮行の数々を明確に指摘されています。鎮江に於いて「婦女の屍、道上に満」たしたイギリス兵たちがまさか長い戦争を戦うだけの基盤を築き得たかといえば、甚だ疑問なところで、ここでも「勝つ可きは敵に在」った訳です。
著者は決して感情的になることなく、真実を淡々と述べることで、アヘン戦争とは如何なるのもであったかを問い直します。ここで淡々とした筆致である所が、寧ろ小説とはまた違った歴史のおもしろさを見せてくれ、しかも声を荒げて弾劾するよりも、より効果的にイギリスの行為の醜悪さを見せ付ける事にもなっています。歴史が持つ複雑な要素をどのような「歴史」に構成して行くかは現代日本にも直接的に関係のあることでしょう。