Be My Last(DVD付)
初めて聞いたのがMTVで映像と一緒だったので、印象が変わっているのかもしれません。が、
歌い始めの「母さんどうして‥育ててきたものを‥」あたりから、久しぶりに宇多田ヒカルの世界に引き込まれています。何回も映像と一緒に見ています。
それは、
彼女にしかない、重たいテーマを無理に爽やかにせず、重たいそのままのものとして受け止める力が生かされているからです。
決して、聞いてハッピーになるわけでも、前向きになるわけでもないのです。時には沈んでしまうかもしれません。
しかし、日本文学によくありがちな、切ない、重い空気感を味わえます。「今の恋愛は自由でいいな」って思ってしまうくらいに。
ですので、EasyBreazyにある新たなかっこよさも好きですが、これはこれで(特に映像は良く出来ているので一緒に見るのをお勧めします)繊細さを評価したいと思います。
金閣寺 (新潮文庫)
戦後生まれにとっては、この事件は、衝撃的であった。
その時事性溢れる事件について、人間に根本的な「劣等感」「名誉心」などを見事に描ききった。時事性溢れる、しかし歴史的に考えれば永続性を持つ事件を、その重大性にいち早く感受性を働かせた三島の真骨頂。
この物語について、あるいは、様々な犯罪についてここまで突っ込んだ論評を「小説」として示した三島の力量に感服する。
何度読んでも、「無駄な一行すらない」
「推敲」とはこういうことを言うのであろう。
春の雪 [DVD]
原作をさんざん読んだ上で観ました。
宣伝をみたときは全く期待していなかったのですが、映像の美しさも、俳優の演技も、思ったよりずっとよかったと思います。
ただ細かい部分はやはり原作と違って、犬の屍骸を発見する場面など、聡子の性格を示す上で非常に重要な部分が変えられており、三島氏の描く「女性像」という物がきちんと表現されていなかったように思います。また「この世では(もう清顕には)会わない」と尋常ならぬ決心で剃髪したはずの聡子が、最後すすり泣いてしまう場面など、かなり残念な部分もありました。
しかしまあよくあの作品を「映画」という形でここまでまとめたものだと思いますので、概ね評価できるのではないでしょうか。
原作を読んでおられない方に是非お伝えしたいのですが、この作品は2巻、3巻と読み進めていくと、副主人公であった本多の存在が大きくなってゆきます。本多はこの後歳を取り、精神的にも肉体的にもどんどん醜くなります。この作品において一番重要なのは、その本多の醜さと、それぞれの話の中で輝いて生きる主人公との対比によって、美しさとは如何なるものかということを明らかにしているところにあります。そのような観点から見ると、最後若い純粋な友情から、本多が清顕と聡子の面会を嘆願する場面は非常に感動的に思えます。
難解な言葉が多く、量も多いので、読破するには非常に骨が折れますが、素晴らしい作品ですので、この映画をご覧になり興味をもたれたら、是非原作も読まれることをおすすめします。
音楽 [DVD]
音楽は三島由紀夫原作の映画化ですが、三島の衝撃的自決から2年後の作品です。監督の増村さんは、1957年大映で監督デヴューし、数々の傑作を物にしましたが、1971年大映が倒産、そして、長らくあたためていた本作を自ら脚本を練り、外部で撮る第一作としてATGで撮った物で、作品に凄い気迫が感じられます。
まず、洋バサミと女性のヌードを絡ませた非常に印象的で斬新なタイトル・バックに驚かされます。赤い服を着た若い女、麗子(黒沢のり子)が精神科医、汐見(細川俊之)の元を訪れます。麗子は16代続いた名家の令嬢ですが、許婚に無理やり犯されそれが原因で家を飛び出した事、また、1年前から付き合っている江上隆一(森次浩司)がいるが、最近食欲不振で、吐き気はするし、音楽が全く聞こえない・・etc・・色んなことを訴えます。そして、2回目の予約をして帰ります。しかし、この予約直前に体調が悪く行けないと電話してきますが、江上の説得で結局診察を受けに来ます。麗子は、この前言った音楽が聞こえないというのは嘘で、実は不感症で、総ての原因はそのせいだと主張します。彼女の言っていることに矛盾を感じた江上は、自由連想法で彼女の思い浮かぶ事を色々喋らせます。汐見の診療書に恋人の江上が怒鳴り込んできたり、麗子には兄がいたり、また、彼女は不能者と死にかけの病人にしか感じない、等色んなことが明らかにされます。果たして彼女の真相とは何なのか・・・
まるで良質の推理ドラマを見ているようで、次から次へと謎が提示され、それが解明されていき、一気呵成に映画は進行します。もちろん黒沢のり子(清純派でした)と森次(ウルトラセブン)の絡みは非常にエロティックで、特に黒沢の体当たりの演技は特筆物です。また、細川、高橋長英(麗子の兄)も好演です。しかし、この映画の真の狙いは、彼女の謎の解明ではなく、禁断の○○○○に悩み苦悩する人間の魂の浄化?或いは、そこからの脱却を描いた物語として観るべきでしょう!!
鑑賞していて、久しぶりに魂を揺さぶられました。難点は価格が高い事、エロスの描写も中々ですが、万人向けではないでしょうから、仕方が無いのかな?なお封入のパンフレット、プレス・シートは必読です!!
潮騒 (新潮文庫)
三島由紀夫は本当に書きたい小説と商売用の一般小説を分けていたという。三島小説は結構読んだが、果たしてどっちがどっちか分からない。全ての小説が屈託深くて難しいと感じる。『音楽』なんかは一般向け小説なのだろうか。あれだって難しいように思うが。三島文学に関しては分かる人には分かるのだろうということは分かる。ロシアで『金閣寺』を読んだ囚人が監獄で切腹を図ったという。こういう人は分かり過ぎてしまった読者なのかもしれない。三島のロシア語翻訳者のグリゴーリイ・チハルチシビリ(ボリス・アクニンという小説家でもある)が、「三島由紀夫は『国民的作家』では決してない」と言っていたが、まさにまさに。
『潮騒』は万人が楽しめる唯一の三島小説。万人に受け過ぎて作者を索漠たる気持ちにさせたらしく、後年三島は「冗談で書いた小説」と言ったというが、この言葉は韜晦だろう。「『知的で病的』なんてオレは絶対イヤだからな!」という当時における作者の真剣な叫びが聞こえるような、とても健全で美しい小説だ。特にヒーローが素敵。三島由紀夫は知的じゃない体育会系青年を描くのが本当に上手い。ヒーローに注がれる作者の愛溢れる視線がなんともかんとも。
ちなみに、この小説を指して「三島は『田舎』を分かっていない」という出版当時の批評の言葉をどこかで読んだが、別にいいじゃないの、と思う。これは「地方」にまつわるファンタジーであり、「海と太陽」にまつわるファンタジーでもある。「田舎」ったら常に『土』とか『楢山節考』してなきゃならないという訳でもなかろうし。
昔のフィギュアスケートは技術点と芸術点に分かれていたが、この小説を読むと、その両方のカテゴリーで次々と満点が並んでゆく様子を唖然と眺めるような気分になる。後はもうスタンディングオーベーションでもするしかないような。