宮崎駿の雑想ノート3 「最貧前線」
最初は、現代から始まりそして、いきなり昭和20年の3月の太平洋上へとタイムスリップする。メインのイッセー尾形さんのゆっくりとした幹事の声は、戦争と漁船の乗組員という不釣合いな関係にマッチしている。その一方で、過酷な現実が同時に進行する、かつて、日本が戦争をし、それに漁船も犠牲になったという事実を、恥ずかしながら此れで初めて知った。これは、素晴らしい作品です!また、BGMが美しく、目をつぶっていると情景が浮んできます。
太陽 [DVD]
私の父は元宮内庁職員です。陛下の侍従ではありませんが、陛下の
お人柄などはよく話してくれたものです。
宮内庁の内情など知っているので、よく公開が可能になったと驚きました。
作品はよくあそこまで調べあげたと感心しました。よくぞそこまで陛下の心情を表現したなと思いました。
イッセー尾形さんが、ただ似ているのではありませんね。
「あっ、そう」には何種類かの言い方がありますが、使い分けが巧みでした。
ラスト近くになるにつれ、お心の痛みが伝わってきたの覚えています。
私は右でも左でもありません、ただ他の方々より陛下を身近に感じていたのです。
心から父と鑑賞したいと思います。
父がどう感じたかを話し合いたいものです。
トニー滝谷 プレミアム・エディション [DVD]
雨です、、なぜか自然に、、この映画を、、、部屋の大きな窓を開けて、、窓の近くで観ました。
今日はとても湿度が高く、でも涼しく、でも、涼しい中にも夏へ向かう力というか優しさがあり、
大粒の雨が沢山降っていて、雨音が庭の木やデッキにあたる音が、この映画のように心地良かったからです。
まるで、映画の空気感に包まれたような静かな優しい一日でした。
坂本龍一のピアノも今日の雨音に合い、ほんとに、映画の中に入ってしまったような感覚でした。
別にキリスト教徒ではありませんが、、ピアノ曲が、何故かアベマリアと聞こえます。
不思議な充実した一日をありがとう。
雨はまだ、やさしく、降り続けています。
今日の雨は、きっと育みの雨ですね、、、きっと、、、
トニー滝谷とあの女性も愛情を育みあうのでしょう。
ヤンヤン 夏の想い出 [DVD]
『ヤンヤン 夏の想い出』が特別に身近な印象を観客にもたらすのは、この映画には親しい友人を見つけることのできるような空間が開かれているからだ。観客は、それぞれの年齢や性別による立場に応じて、自分と身近に感じられるような人物たちの姿を映画の中に見出すだろう。
映画の登場人物たちからは、ある種の単純さがこの映画を支えていることが分かる。このように生きている人物がいる、その人物には美質がある、というのがその単純さだ。一家の父には正直さや誠実さがあり、母には人生に対する困惑を生きる素直さや子に対する愛情があり、引っ込み思案な性格をもつ女学生の長女にはひたむきさがあり、幼い長男にはこれから長く続いてゆく人生に対する好奇心がある。余計なトラブルを巻き起こす一家の母の弟に当たる男にしても、外からの空気を導き入れることで彼の陽気さや屈託のなさが一家に対して活気をもたらすような軽視しがたい影響を及ぼしている。とはいえ、度外れた不運にも幸運にも見舞われかねない危うさの上に彼が生きているという点で、彼は一家の人物たちとは少し異なる世界に属している。一家の人々が暮らすのは、困難に直面したとしても、それぞれの人物が持つ経験と資質とともに着実に営まれていく人生であり、その先の進み方を大きく左右するような賭けに自ら進んで打って出るような人生ではないからだ。登場人物たちがそれぞれに美質をもった人物として捉えられている点で、エドワード・ヤンは『ヤンヤン』において前作『カップルズ』にあったようなシニシズムからは遠く離れている。
また、この映画は、同じく群像劇であった他の映画を想起させるが、それらとは異なった印象をもたらす。アルノー・デプレシャンの『そして僕は恋をする』では、出来事を経験することによる登場人物の変化が描かれる。また、オリヴィエ・アサイヤスの『8月の終わり、9月の始め』では、登場人部たちが出来事を経験する時間の大きな流れが描かれる。『ヤンヤン』において登場人物たちは、重大な出来事が起こる一つの夏という短い時間を経験するのみだ。出来事の事前と事後で彼らが大きく変化することはない。
さらに、この映画は、未来に対する楽観主義に支えられている。それぞれの人物は、一つの夏を通して各人の年齢における人生の重大な出来事を経験するが、結局は大きな変化もなしに人生を生きていく。彼らが生きる世界においては、人生を望み通りに変えることができるようなマジックは存在しない。マジックなど存在しない世界で、登場人物たちはそれぞれの人生を慎ましく生きている。未来が現在とは異なっているものだという希望や楽観的な態度なしに、このような人生を生きることは可能ではないだろう。
おそらくは監督自身の投影でもあるだろう少年のヤンヤンは、見えないものを見せてあげると言って人々の後頭部を写真に撮り、これから生まれてくる甥に対して見たことがないものを見せてあげ知らないことを教えてあげたいと記した手紙を祖母の葬式の際には読み上げる。『ヤンヤン』は、未来に対する漠然とした楽観的な態度なしに人生を生きることは出来ないということを見る者に教えてくれる。
オフ・オフ・マザー・グース
初めてマザーグースを読んだのは北原白秋の本訳でしたが、あの不思議な世界観が蘇った様な感覚に陥りました。
笈田敏夫などジャズの超ベテランから小松政夫などの喜劇俳優などジャンルを超えた詠み手による競演は値段以上の満足感があります。
最後の曲「コマドリの死」はパタリロの「クックロビン音頭」の元ネタでしたね、懐かしいです。