チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
1962年9月ウィーンでの録音。リヒテルの西側デビューが1960年で、「幻の巨匠」の噂は西欧を走ったが、2年後、その評価を決定づけたのが本盤。カラヤンのバックで、いわばキラー・コンテンツのチャイコフスキーの1番を引っさげての登場だったので話題性は十分。付随的に、カラヤンは当時、ウイーン・フィルとの関係が冷えており、(実はかつてから相性のよい)ウイーン響を使っての演奏。これも「意外性」があって一層注目度を上げた。
個人的な思い出だが、中・高校の昼休みに毎日、このレコードがかかる。幾度も耳にした演奏だが、いま聴き直すとライヴ的なぶつかり感、「即興性の妙」よりも、リヒテルの強烈な個性と巨大な構築力を、周到に考えぬきカラヤンが追走している姿が思い浮かぶ。カラヤンはEMI時代から、協奏曲でもギーゼキングなどとの共演で抜群の巧さをみせるが、特に本盤での阿吽の呼吸は、ピアニストと共同して音楽の最高の地点に登攀していくような臨場感がある。けっして出すぎず、しかし背後の存在感は巨大といった感じ。だからこそ、リヒテルという稀代の才能の「衝撃」に聴衆の照準はぴたりと合う。これぞ協奏曲演奏の模範とでも言えようか。
debut
“なんて軽やかな演奏なんだろう”、ショパンの『英雄』を聴いての第一印象だった。これまで同じ作品を何人かの演奏家で聴いてはきたものの、正直な所それほどの名盤とは思うことが出来なかった。無論、中にはホロヴィッツの来日演奏での名演はあるが他は余り違いが無かったように感じていた。けれどもこのアーティストの演奏を耳にして印象的だったのはキラキラと光る音の燦めきそのものである。ショパンがイメージした英雄の姿を彼は1人の若者の姿としてイメージしているような感がある。天は二物を与えずとはいうが、光のない世界に生きているから余計に光の持つ明るさや暖かさをイメージとして表現できる。それは豊かな想像力という天賦の才のみがもたらしうる奇跡であろう。オリジナルの作品もそうした裏付けがあってもたらされている。ジャケットに映る彼の横顔に可愛らしい笑顔がある点もうれしい。そこからは音楽に出逢うことの歓びを感じる。豊かな才能の持ち主の未来に期待するところ大である。
さよならドビュッシー (宝島社文庫)
ミステリーとして読むなら、オチはすぐ見当が付きます。
しかしあれよあれよと進む話の展開に、ページをめくる手がとまりませんでした。
キャラが昭和とか展開が安易とかいうレビューもあり、確かにそうなんですが、 久しぶりに物語を読んだなあ!という満足感があります。
…文章も上手くキャラも現代的だけど物語が現実的すぎて話が薄くて眠い、とか、
ノルマで一冊書いてんだろうなあ、ページ埋めるのに必死なんだろうなあ、だからファン向けの会話と蘊蓄でページ稼いでるんだろうなあ、とか、
そうこちらに思わせる作品にばかりここのところ当たってたので…
圧巻はやはりピアノの演奏描写。私はピアノには全く素人ですので、個々の単語の意味なんて解っちゃいないんですが、素人に「なんか凄い演奏なんだ」「この曲って素晴らしい作品なんだ」と充分思わせる文章でした。
…だからこそ、動機が残念。いっそ主人公が計画的悪魔少女の方がすっきりしたかなあ。
そうじゃないならもう少し少女の逡巡や後悔や悲劇を描いて欲しかった。
軽くないか、ラスト。
先生「日本の○○は○○には甘い」って、「主人公ラッキー」って事かい。これ読者は「良かったね〜」とは思えないんだが…。
ラストも清々しいんだけど、良く考えたら清々しくていいのか…?(笑)
本当に面白かったから、最後だけが残念…
おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)
さよならドビュッシーほどの鮮烈さは無かったんですが、クライマックスの2、3ヶ所の転換は良かったと思います。 とりあえず晶の幸せを願いながら読み進めました。 こんな想いだった為、晶に襲い掛かるハプニングにはハラハラさせられ作者の思惑にまんまと嵌まってました。 前作同様、岬洋介によって語り手が成長していく様は爽快感があり楽しめました。 惜しむらくは、TSUTAYAで見つけたラフマニノフを主人公にしたDVDを、借りる前に読了してしまった事でしょうか。 もしよかったらDVD観てから読んでみてください。DVDが駄作だったらスイマセン。
岬洋介シリーズ期待してます。では