フェデリコ・カルパッチョの極上の憂鬱 (幻冬舎文庫)
不思議な本。謎?のイタリア人フェデリコの東京での日常生活を綴ったエッセイ。たまらない面白さ!もう何回読んだことだろう!?またドットールこと小暮氏の訳も秀逸で一気に読んでしまう。書名からの印象は恐らく堅い?と思うかもしれないが、決してそんなことはない。何気ないレストラン、買い物など当たり前の日本での生活を独特の視点で切り取ったもの。何がそんなに面白いのかは読んでみて下さい。
道【淀川長治解説映像付き】 [DVD]
作品はとてもシンプルです。ムダなセリフがありません。
フィギュアスケートの高橋大輔選手がバンクーバーオリンピックのフリーで『道』を選んだことで知り、好きな曲だと思った以外は何の知識も無く、何の先入観も無く観ました。
貧しい家庭に育ったジェルソミーナという娘を母親が金と引き換えに旅芸人のザンパノという情の無い男に引き渡すシーンから始まります。ザンパノは、何のとりえも無い彼女を自分の女にして芸を仕込み、彼女をまともに人間扱いしようとしません。
ジェルソミーナの顔を見た私の第一印象は「ヘンな顔」だったのですが、作中でも『しかし妙な顔だ これでも女の顔かね』などと言われるシーンがあり、昔の白黒映画で外国人なのにこの説得力はすごいんじゃないかと思います。そう言ったのは綱渡りが得意な、からかいグセのある孤独な男でした。
この、いつもザンパノをからかって怒らせてばかりいる男と彼女の会話が好きです。
「私なんか何の役にもたたない 私なんか死んだほうがいい」と泣くジェルソミーナ。
人間なら誰でも一度は自分で自分が役立たずだと思う瞬間があると思います。子供の頃失敗した時も大人になってその意味が解って更に恥入った時も、仕事で失敗した時も。
からかい屋の男はそう言う彼女の相手をしながら、足元の石ころを拾い上げて言いました。
「この石もきっと何かの役にたってる 君だってそうだ」
取りようによっては、失礼な発言なのだけど、ジェルソミーナの顔がパッと輝く瞬間、(こんな私でも何かの役にたっている)と考え始めるのがわかります。
次々と自分の口から言葉を吐き出し、「私がいてあげてるのよ」(ザンパノの側に)と言い放つシーンは、自分で自分のことを決められない彼女が自分にできることを自覚した自信に満ちた表情でした。
からかい屋は自分が孤独なことが解っていても、ザンパノのように彼女を自分の意のままにしようとはせず、ザンパノの側にいてやりなと、彼女を困らせることなく、かる〜く優しく送り出し、去っていきました。彼女が自分はザンパノに必要な存在なのだと自覚し、自信を持ったことを尊重したのだと思います。
「チャオ」という去り際のセリフで、初めて「チャオ」という言葉が切なく聞こえました。
なのに愚かなザンパノは自分の手で何もかもぶち壊してしまう。
友と成り得た男も、望めば一生一緒にいてくれたはずの女も。
子供の頃の私なら、「ザンパノはすごい悪人だ。ジェルソミーナもからかい屋もかわいそうだけどバカだ。ジェルソミーナはどうしてザンパノなんかと一緒にいることを選んでしまったのか」と不思議に思ったでしょう。でも大人になって色々と知識が増えたせいで、この二人が共依存の関係だとかそういう見方をすると、「ザンパノは一番みじめだ。そんな生き方しかできないのに、生きていなければならない。今まで考えもせず生きてきたツケを払う時がきたんだ。重い罪を背負って、死ぬまで苦しみながら生きるしかないだろうね。失ったものの大切さに気がついてしまったんだから。」と、ザンパノが哀れでなりません。きれいごとの無い現実的な作品でした。
ジェルソミーナは道端の石ころの様な存在のまま、そのまま、ある意味、ザンパノを罪人にしてしまった。彼女は天使のように彼を地獄へ導いてしまった。
そして、私自身のことを振り返って見れば、自分勝手な行動を取ってしまった時はザンパノの様であり、自分の意志をハッキリさせずにいることが他者を悪者にしてしまう結果を招いた時はジェルソミーナの様であり、軽率な言動でひとの怒りを買った時はからかい屋の様であり、苦い思いを味わいました。
アマゾンで内容紹介を読んだら、私が実際に作品を観た感覚と違っていて、違和感がありました。
ジェルソミーナが特に知能に問題あると思えません。日本人女性の大半はジェルソミーナっぽい感じだと思うし、現実に女性が言いたいことを言いにくい社会なので。それに、「お父さん(夫)がいないと、何もわからない」と言う主婦の人って案外多いです。あの頃の時代はあれが普通だった気もします。
3大テノール 世紀の競演
オペラ初心者ですが、とにかくこのCDを聴いてるとなんともいえない心地さ
を感じます。
CDですら感動できるのですから、生で聴いたらきっと泣いちゃうんだろうな。
彼らの歌声はきっと神様からの贈り物。
とにかくおすすめです!
んーいいCDに出会えた♪
キリストにならう
本書は中世に書かれたキリスト教の修徳書である。
『第二の福音書』とも呼ばれているという。
近年、聖書をわかりやすく説明した本が増えてきたが、
実際にキリスト者がどのような教えを座右において
日々の生活を送っているかは、聖書を通読しただけでは
なかなかわかりづらい。本書はもともとキリスト者のために書かれた本だがキリスト教の根幹になる教えを非常にわかりやすく
生活に即した例を引いて説いているので、
なじみのない人でも得るところ十分である。書名を「キリストにナロウ」と誤読した私も不埒千万だが、
ひとくちに「ならう」とはいっても、先方は神の子、
仮に人間としても悟りを開いた最高のラビであるから、
相応の覚悟は必要である。
事実、本書は現在私たちに忘れられがちな
忍耐や謙遜、反省、沈黙などを説いている。
各々が「行動は慎重に」、「邪推を避ける」
「心の痛悔」などと簡潔にまとまっているので
どこから読んでも楽しめる。
装丁は気品あるブルーのハードカバーで
手になじむ文庫サイズ。真面目な宗教書として読むにも、命の洗濯本として手軽に読むにも適している。
フェリーニのアマルコルド [VHS]
親愛なるイタリア人様、登場人物の皆さん、個性的で愛嬌があって
又時には騒がしくて。いつものフェリーニフィルムの面々が顔をそろえています。こんな人たち、何年経っても、忘れるものですか!30年前の2月に千代田劇場で観たキネ旬の74年度表彰式(第1位)での感動がよみがえってきました。