音楽の玉手箱~露西亜秘曲集~
有森博は私が特に新譜を待ち望んでいるピアニストの一人である。だけれども2007年11月に発売された2枚(!)のアルバムについては、前もってそのニュースを聴いてなかっただけに、ふらっと入ったCD店の店頭でこれらのアルバムを発見したときの喜びはことさら大きかった。その日、私は競馬で散々負けて、お金の持ち合わせがないところだったのであるが、カードがあれば買えてしまうという現代社会の病巣にあっけなくとりつかれ、即購入してしまった。
さっそく家に帰って聴いてみると、いや、これは良い。もう競馬で負けたことなんかどうでもいい(すいません・・)。有森博のアルバムはその曲目の構成にも彼ならではの卓越したセンスを感じるが、この露西亜秘曲集など実に見事だ。ほとんど知らない作品、中には知らない作曲家もいる。いったいどのようにしてこのように魅力的な作品を見つけるのだろうか?70分を超える収録時間もうれしい。
アルチュニアン、ババジャニアンといったアルメニアの作曲家の作品はなんともオリエンタルなムードだ。その親しみやすいこと。この国にはまだまだ魅力的な作品が埋もれていそうだ。他にもリストのハンガリー狂詩曲はラフマニノフのカデンツァがヴィルトゥオジティを満たす愉悦作だし、ヴィゴードスキーの編曲した「G線上のアリア」の思わぬ美しさにはクラッとくる。また、アレンスキー、グラズノフ、ラフマニノフ、タネーエフの「合作」はショパン・リストらの「ヘクサメロン」の露西亜版といえるもの。聴けるだけでもうれしい。さらにはリャプノフの力作などなど聴き応え万点のすばらしいアルバムである。できれば第2弾を出してほしい、と早くも思ってしまった。
チャイコフスキーにつつまれて
有森博は90年代から活動歴のあるピアニスト。東京芸大大学院卒業後モスクワで学び、帰国し日本に生活の基盤を
戻した後も頻繁にロシアと日本の往復を重ね、特にロシアものの優れた演奏に定評のある人である。
今までに7枚の録音盤を発表、最近はカバレフスキーの秀逸な連続録音盤で知られる彼が、ロシアものの新たな録音
レパートリーとして選んだのがチャイコフスキー。本作プログラムのメインに据えられたのがピアノ曲集「四季」である。
音楽月刊誌の出版社による、毎月その月をイメージするロシアの文豪達の詩をテーマにした楽曲の楽譜を雑誌に掲載
したいという依頼を受け、12ヶ月を通し描き下ろされた12のピアノ曲は、技術的にはそこそこの難しさに収めながらも、そ
の美しい響きからはロシアの厳しくも豊かな情景が伝わるもので、彼のピアノ曲の代表作の一つでもある。
本盤で久しぶりに「四季」を聴いたが、決して長くない1曲の中に実に大きな音の起伏と美しさが閉じ込められていること
を本盤の演奏から再発見した。これらの魅力を引き出すのは実は音楽表現の上で結構難しいことだと思う。
有森氏は良く歌う演奏により旋律の美しさを強調する一方、フレーズの纏め方から音色の響き分け迄を丁寧に処理。「
秋の歌」での二旋律の絡みや「クリスマス」でのワルツのテンポの揺らし方等随所に発見のある演奏だ。
彼の持つ技巧の冴えを堪能できるのが、終盤におかれたチャイコフスキーの弟子・パプスト編曲による師のバレエ音楽
「眠れる森の美女」、歌劇「エフゲニー・オネーギン」二種の演奏会用パラフレーズである。
元々オーケストラで演奏することを意図したものを1台のピアノ用に言わば強引に持ち込んだ為様々な技術的困難を伴
うが、「演奏会用」と銘打つ通り華やかな演奏効果をあちこちに施した創りは弾く方も聴く方も楽しめる。
特に有名曲「ワルツ」をソロピアノ用に置き換えた「眠りの森の美女」パラフレーズは優雅なことこの上なく、演奏者の確
かな技巧によるダイナミックな演奏は心地良い高揚を与えてくれた。
小さな世界に多くの起伏と美しい音を閉じ込めた、チャイコフスキー小曲群の豊かさを再認識させる優れた演奏である。
ムソルグスキー:展覧会の絵
久しぶりに有森博のアルバムを聴く事ができた。
今回は大曲であるムソルグスキーの展覧会の絵を中心に、ロシアの作曲家の小品が集められた作り手の思慮深さをうかがえる構成となっている。
有森の表現は実に逞しい。
ムソルグスキーの作品には、ホロヴィッツ、アシュケナージをはじめ名演に事欠かないが、有森の録音はその中でなお存在感を示せる質の高さがあり、かつ個性的である。
本演奏の第一の特徴はピアノの音色そのものである。
いかにも一本芯の通った、重さを感じさせながらも和音の響きは熟慮されている。
そもそもムソルグスキーが題材としたハルトマンの絵画は風刺的で、社会性に富んだ内容を持っていた。
それを踏まえ、当時の芸術家が蓄えたエネルギーを慎重に解釈して解法していく作業を有森はここで行なっている。
そうして聴かれる演奏は、ダイナミックで美しいが、どこか暗さを常に秘めている。
もう一つ。
このアルバムを通して聴くと、そこになぜかフレデリック・ショパンの面影が浮かぶのだ。
ショパンはポーランドの作曲家だが、パン・スラヴ主義的にはロシアの音楽家とも言えるし、ショパンの功績はどこよりも強くロシアで引き継がれていく。
ここに収められたあまたの魅力的なロシア小品は、いずれもショパンの影響を感じさせるのだ。
こうなると、ぜひ有森には満を持してショパンにも取り組んでもらいたいと思う。