全国初 手話で全教科学ぶ中学設立へ
日本の手話には大きく2種類があります。ひとつは手や指で日本語の文法や語順を表現するもので、ろう学校で使われる『日本語対応手話』といわれるものです。そしてもうひとつが、手や指だけでなく顔の表情や体も使って自然に伝えるもので、ろう者が日常的に使う『日本手話』です。この『日本手話』ですべての授業を行う日本初のろう学校が去年、都内に開校しました。現在は幼稚園と小学校しかないこの学園に中学校を造ろうと準備が進められています。日本のろう学校では否定的な見方もあった手話による教育が見直されつつあるようです。 品川区にある私立明晴学園は、全国初の手話ですべての授業を行うろう学校として去年4月に開校し■■↓全文を見る■■ www.mxtv.co.jp
百歳・生涯現役・天然生活の仙人の朝食ー玄米・梅干し・納豆の粗食
2011年9月26日の朝食。本日も地産地消費、自給自足の朝食に変わらず。百歳・生涯現役・天然生活の仙人の朝食です。ー玄米・梅干し・納豆の粗食の朝食も同じ、釣った魚はおいしく丸ごと骨まで食べること。鎌倉天然、海彦生活を毎日公開中。 日本で徳川時代に百三十歳(?)までいきたといわれる日本最長寿は南光坊天海(てんかい)です。実際の年齢は不明ですが(天文年(1536年)? - 寛永20年(1643)10月2日(百八歳)ともいわれています。 南光坊天海は安土桃山・江戸初期の天台宗の僧侶で、徳川家康が六十二歳で天下取りに成功したのは、天海という知恵袋のおかげといわれる。七十五歳で没した家康よりもさらに三十三年も長生きし、百八歳で大往生した。一説には百三十歳まで生きたといわれる。 平均年齢が四十歳とされる当時にあっては驚異の長命である。この長寿によって家康・秀忠・家光の徳川三代に仕えて、「陰の宰相」として政務を動かした。いわば徳川幕府二百五十年の基礎を築いた陰の人物じゃ。 その長寿の秘訣を聞かれて、次の二つの歌を詠んだ。 養生法―「気は長く 勤めは固く 色うすく 食細うして 心ひろかれ」 養生法「粗食、正直、日湯(ひゆ)陀羅尼(だらに) 御下風あそばさるべし つまり、「あせらず気を長く持って、仕事はしっかりこなして、色欲をおさえて、食事は腹八分に心はゆったり保て」ということである。 また、長生きには粗食であること、美食、飽食がいちばん悪い。 下風」とは「オナラ」のことで、人に遠慮せず「プリプリ」と放屁すべし。快便、快屁こそ天海流の長寿法なのである。この教えを守ってか、家康も七十五歳の長寿を保った。 長寿の食事は納豆などの健脳食を食べろ、 福島県会津生まれの天海は、地元の人が常食していた納豆が大好物。食事は僧侶となりゴマ、昆布 ...
【前面展望】地上から地底へ 竜飛海底駅 ケーブルカー下り
2010年9月8日撮影。竜飛海底駅見学の際に乗車したケーブルカーで撮影しました。 ケーブルカーの正式名称は「青函トンネル竜飛斜坑線」で、私鉄なのだそうです。 上りはたまたま先頭席が取れましたが、下りは気合いを入れて先頭席をゲットしました。 最初に手前の大きな扉が開くのを見ると、何か本当に別世界へ行く気になりますね。 途中早送りしています。 【Seikan Tunnel Tappi Shako Line down ride view】