十蘭万華鏡 (河出文庫)
現在刊行中の久生十蘭全集はコレクター向きの値段で、一般人にはそう簡単に手を出せるようなものではない。かといって、これほどの作家ならばもっと読まれていいはずだ。ならば、現在手に入りやすい短篇を除いて、比較的入手困難なものを集めた短篇集を出して行こう。もし河出文庫の気概がこれくらいのものであるならば、私は本書をもう二冊くらい買って応援する用意がある。そして、さらなる短篇集を期待したいところだ。
昨年同文庫から出た『ジュラネスク』には短篇が10篇収められていたが、今回の文庫には12篇が収められている。値段を考えれば、良心的な数である。また、12篇とも30頁前後の長さで、うまく並べたものだと思う。バランスが非常に良く、リズム良く読み進めることができる。また、これらの短篇群は、他社の文庫に入っている作品とくらべると、やや地味かもしれない。ところが、丁寧に読んでみると、どれ1つとして緩慢な作品がないということに気づかされる。このことは、十蘭作品の質の高さを物語っているといってもよいだろう。
個人的には、「雲の小径」という作品が傑出していると思った。まず、冒頭の2段落(231頁)が絶妙である。十蘭は、この冒頭部分に、ほぼ同じ意味合いの「曖昧」「模糊」「濛気」「溷濁」という4つの言葉を意図的に配置し、このあとの展開で夢と現実のあわいが文字通り曖昧模糊になることを予兆する。読者はここを読み、十蘭の語彙の豊富さにまず驚くことになる。さらに、この短篇を読み終わる頃には、この冒頭部が周到に準備された演出であったことに気づき酔うのである。その意味で、この作品は、高い芸術性(言語表現の巧みさ)とエンターテイメント性(小説の面白さ)が見事に融合された好個の例であるといえよう。また、それが久生十蘭の文学なのだということもできるだろう。
この短篇には、もう1つ別の魅力がある。よく知られているように、十蘭には改稿癖があり、かつての作品を手直しして別の題を付けて発表したり、その一部を別の作品に織り込んで違う作品にしてみたりということを頻繁に行った。「雲の小径」も、そういう作品のひとつだろう。例えば、話の設定が「大竜巻」という別の短篇に酷似していたり、これまた別の短篇である「花合せ」にあった男女のセリフ(163頁)のある一部がほぼ同じ形(245頁)で使われていたりするのだ。このことは、十蘭文学の創作の秘密をかいま見れるという点で、ファンにはたまらなく楽しい読書体験を提供してくれる。また、この3作品を同じ一冊に配列したというのは、まさに出版する側の編集の妙である。
魔都―久生十蘭コレクション (朝日文芸文庫)
1934年の大晦日から1935年元旦までの二十四時間の間に起きた、
失踪した安南皇帝と彼が所持するダイヤの行方をめぐる大騒動。
のちに、荒俣宏『帝都物語』にも大きな影響を与えた
という、都市小説、ナンセンス・ミステリの怪作です。
海野弘氏は、作中のヤクザの市街戦は、1925年に 起きた
〈鶴見騒擾事件〉がモデルだと推定し、以下のような解釈を
示しています。
〈(十蘭は)安南帝のダイヤ事件を表層に張りめぐらし、その下に、1925年の
鶴見事件を埋めこんだ。それはヤクザと土建業とコンツェルン、そして政財界
全体がつながっている政治陰謀小説であった。
だが、さらにその下にもう一つの底があったのだ。それが二・二六事件下の、東京の
アンダーワールドの物語である、と私は想像する〉(久生十蘭 『魔都』『十字街』解読)
武装した兇徒が皇帝を補禁し、その上、丸の内という特別の地域で、その武装した兇徒が
警視庁に機関銃で立ち向かっていること、それが二・二六事件の見立てであるというのです。
軍部による独裁が行われていた当時、こうした大胆不敵な執筆意図を持って
本作が書かれていたのであれば、久生十蘭とは、じつにおそるべき作家です。
久生十蘭ジュラネスク---珠玉傑作集 (河出文庫)
初めて十蘭を読むのならば、収録数や解説の充実ぶりから考えても、昨年出た岩波文庫の『久生十蘭短篇選』に軍配を挙げざるを得ない。しかし、本書は現時点で文庫や単行本では読めないものばかりを収録しており、その編集側の配慮は立派である。岩波文庫に比べると小ぶりだが、収められている10篇のジャンルは、歴史物(「無惨やな」「影の人」)、冒険物(「藤九郎の島」)、幻想物(「生霊」)、洋風物(「南部の鼻曲り」「葡萄蔓の束」)、他文献からの引用を基にしている史実物(「遣米日記」「美国横断鉄路」)、そしてミステリー物(「死亡通知」)と多岐にわたり、十蘭の作家としての多様性をまずまず楽しむことができる。
個々の作品に関しては、特に後半の5つ(「藤九郎の島」「美国横断鉄路」「影の人」「その後」「死亡通知」)がどれも特徴的ですばらしい。「藤九郎の島」はちょっとしたロビンソン漂流記だし、「美国横断鉄路」は十蘭のなかでも異色作かもしれない。最後の「死亡通知」は本書の中で一番長い作品(約50頁)である。この佳品の後半部を読んでいて既視感を覚えたのだが、あとでよく調べてみたら「水草」という別の作品がほぼそのまま組み込まれていることが分かった。この「水草」は数ページの長さしかない超短篇で、『日本探偵小説全集<8>久生十蘭集』(創元推理文庫)などに収められている。「水草」が昭和22年発表、一方「死亡通知」は昭和27年発表である。この5年間のうちに、十蘭はこの小品を再度練り上げることにしたのだろう。このような作法は、例えば現在絶版の『怪奇探偵小説傑作選<3>久生十蘭集』(ちくま文庫)に収められている「ハムレット」とその原型になった「刺客」の関係にも見られ非常に興味深い。そういう比較ができるのもまた十蘭を読む楽しみの一つである。
久生十蘭短篇選 (岩波文庫)
この本で久生十蘭を知り、大ファンになりました。
堅くもなく柔らかくもない絶妙にかろやかな文体は、ずっと読み継がれていくべきものだと思います。
最近では十蘭関係の文庫が花盛りの様相を呈していますが、やはりこの本は素晴らしいです。
久生十蘭は幻想的なものからミステリー、江戸を舞台にした捕物帳までものすごく作風の幅のひろい作家ですが、この短編集にはなかでも幻想的で「この世」と「あの世」の境目に立っているような、繊細な作風の作品が収録されています。
十蘭をふたたび世の中に紹介するに当たりこれらの作品を厳選した岩波書店はさすが!、という感じです。
怪奇探偵小説傑作選〈3〉久生十蘭集―ハムレット (ちくま文庫)
テーマや舞台にバリエーションが多いのも楽しいし、オリジナリティーのあるストーリーが魅力的だ。形容詞や表現に外国語が多くて、ちょっとスノッブな、ハイカラな感じがある。
「海豹島」では、閉ざされた世界を舞台に、疑心暗鬼と狂気のテンションが高まっていく感じが良い。最後の種明かしは江戸川乱歩や、時代に共通のエログロを感じる作品。
「墓地展望亭」はロマンチックな話だ。ちょっとルパン3世の「カリオストロの城」を彷彿とする、男子なら憧れるような夢物語。これを堂々と書ききるところが、逆に目新しかった。
「地底獣国」は古典的な空想科学小説だが、地底と古代生物の複合と言うところが一粒で二度美味しい。そこにさらに追走劇のエッセンスまで加わっている。設定や途中に出てくる風景や動物の描写がやけに詳細なのが嬉しい。
「ハムレット」、この作品集で一番の収穫と言ったら、迷わずこの作品だ。この設定は秀逸で感心してしまった。解説と共に提示される原型となった作品「刺客」と合わせて読めるのが嬉しい。
このシリーズ共通で、名前は知っていたが、なかなか作品は手に取ることができなかった作家である。読んでみて損はない。