ハンセン病を生きて―きみたちに伝えたいこと (岩波ジュニア新書)
過去において、日本社会が犯してきた、典型的な間違いの歴史のひとつに「ハンセン病問題」がある。
2001年(平成13年)ハンセン病国家賠償請求訴訟の「勝訴」…この二文字に関係者の方々はどれほど感慨深かったことであろう。
特効薬プロミンの登場によって、ハンセン病は治る病気になったにもかかわらず、強制隔離を法律の中心に据える考え方が継承されていたのである。「らい予防法」は199年(平成8年)ようやく廃止された。この時の国の謝罪にも多くの問題点があったことを本書は指摘している。
本書の副題が「きみたちに伝えたいこと」とあるように、「ハンセン病問題を学ぶ」中・高校生向けに分かり易く、問題提起をしている。「差別」とは何か、「排除」とはどんなものかを考え、学ぶのに適当な書物である。
著者自身がハンセン病療養所での治療を経て全快した、体験者であるだけに語る言葉に重みがある。沖縄屋我地島愛絡園からの「脱走が私の人生をひらいた」(第4章)「回復者として生きる」(第5章)人間に成長していく過程が述べられている。
「ハンセン病を理解するために」(第7章)誤解を解かなければならない。「遺伝病」ではない。「らい菌」による「感染症」であるが、その感染力は弱い、というはっきりした認識に立たなければならない。これまでの歴史で偏見に曝されてきたことも学ばなければならないだろう。
現在新規患者数はほとんどないと言ってもいい。この問題に対する誤解・偏見を解き、正しい認識にを得るための分かり易いテキストと言えよう。
名探偵MONK シーズン5 DVD-BOX
モンクは放送当初からはまって大好きで、DVD化されるのを待ちきれずにアメリカ版を購入しました。
そして今回日本版も購入したのですが、両方とにかく画像が悪い。DVD1枚にBS放送を4〜6話無理やり入れたときのように。
デジタル放送になってからのをブルーレイに焼いた方が余程綺麗でした。なんで本家まであんなに画像が汚いのか不思議です。
メインメニューもチャチ。
でも内容は本当にすばらしく面白い...ので星3つ。
愛する [DVD]
以下の文章は、ロードショーで観た後に書いたものです。読んでいただければ幸いです。
まず、特筆すべきは、この映画がハンセン病患者が置かれている差別を告発し、それを観客ひとりひとりに問いかけるという近年稀な社会的メッセージを込めた映画であり、それに成功している点である。それは、患者たちが置かれた苦しみのなかから、他人を思いやる気持にあふれた人間的に素晴らしい人たちとして描かれており、観客に感動を与えるからである。1ショット1ショットに映画的表現の力がみなぎっており、観客に自分はこれで良いのか、自分に関係ないから、あるいは自分の責任でないから知らないですむのかを訴えているのである。それは今日のエイズにも共通するきわめて普遍的な課題となっている。
この映画の題名である愛することについてであるが、この映画に登場する様々な愛について優劣をつけるつもりはなく、また無意味であろう。だだ、全体を通して感じられるのは、ミツが無意識に持つ無償の愛の美しさである。この映画の最大の難しさであるミツが何故駅で療養所に引き返したかに関して、キリスト教的な自己犠牲愛が男女の愛より尊いなどと言うつもりはない。観客の中には、その点でこの映画のリアリティを納得できないと受けとった人もいるであろう。しかし、私は、出会ったばかりの男に体を与える行為に象徴されるように、自分が必要とされていると思えば自分を投げ出し、それを喜びと感じるミツであるからこそ、療養所で生きることを主体的に選んだものと思う。駅のホームでミツがつぶやく「私は悪い女」には、一時的にせよ患者としての苦しみを共有し温かく迎えてくれた仲間を捨てて自分一人が幸福になって良いのかという気持ちが込められているが、それよりも仲間と共にいたいという強い意志があった。そしてそれは、ヒロインの心のなかでは決して両立し得ない恋人との幸福との間で葛藤を引き起こし、観客の心をも激しくゆさぶるのである。
脚本については、遠藤周作の原作を基にしているが、原作及び前回の映画が男のエゴイズムと女の哀れさを主体に描いているのに対して、今回、熊井啓はハンセン病とそのなかで生きる人たちを背景ではなく主題として取り上げ、その人たちとともに生きるヒロインの心の美しさを賛美している。私は、豊かさが物で計られる今の時代にこそ、人としての生き方を問うこの映画が作られる意味があると思う。前半のミツの行動は、男にだまされる女の哀れなものであるが、その打算のない愛こそが吉岡の心を次第に開いていったのだ。切々とした愛の物語としての高まりが展開され、見事なラストシーンへとつながってゆく。
また、1997年秋、この映画が公開された年の冬季オリンピックを前に日本中がうかれていたなかで、犠牲となっているものがあることを訴えた勇気ついてもふれておきたい。大学病院は極めて高圧的なものとして描かれているが、それはハンセン病が伝染しない病気であるにもかかわらず、強制隔離政策をそのままにしておいた責任を糾弾しているのである。
この映画は、1996年にハンセン病患者の強制隔離政策が廃止されたことを背景としており、時代を原作の1940年代から現代に移しているが、最初の臨海副都心のロケを除いて舞台となっているのは、連れ込み旅館・製綿工場・救世軍・木造長屋であり、今の時代にめったにお目にかかれないものばかりである。それを表面上、時代錯誤と非難するのは容易であるが、製作者があえてリアリズムとしての厳密さを犠牲にし、クラシックな背景を選んだのは、理由がある。原作を愛し映画館に足を運んだ人たち、そして、なにより療養所に暮らす人達にとっての現代とは、この映画に描かれた時代なのだ。観客は現代風の背景を見たいと思うより、この物語に合ったしっとりとした古風な雰囲気を望むのではないだろうか。それは、普段映画をみない年配の方が映画館に多く訪れ、この映画が強く支持されていることが証明している。
演出上、演劇的な効果が際立った1ショット1シーケンスの場面もあるが、特筆すべきは、モンタージュとロングショットの多用である。過去へのフラッシュバック、小道具の使い方の見事さにより、登場人物の心がモンタージュされるとともに、ロングショットでは比類なく美しい映像が展開され、熊井啓演出の最高の部分が次々に展開される。撮影、美術、音楽、録音、編集等はこの映画の美しさを際立たせる優れた映画表現であった。
演技については、主演、助演とも素晴らしい。特にミツは日本映画史上最高のヒロインのひとりであり、女優・酒井美紀の天性の才能を感じさせる。気持を込めていながら、気負ったところがまったくなく、自然な演技になっていた。どのシーンも素晴らしいが、特に、吉岡への思いやり、再会後の喜びの爆発、つらい別れ、そして療養所に入ってからの不安、誤診を告げられた時の感情、駅での迷い、療養所に戻ってからの生き生きとしたふるまいが印象的である。渡部篤郎は、最初の屈折した心がミツの優しさにふれなごんでゆく過程を見事に演じ、ラストシーンでのミツとの愛を永遠のものとする台詞を観客に納得させた。岸田今日子が示す失われた青春そしてミツへ託す思い、また小林桂樹が代表するハンセン病患者の歴史そして苦悩、日活出身の宍戸錠、岡田真澄、松原智恵子たちのこの映画をもり立てようとする心のこもった演技等いずれも素晴らしいものであった。
この映画を観た時、私を含めてほとんどの観客は泣いていた。その後、ビデオ・DVDを繰り返し観ているが、そのたびに新たな発見がある。映画は観客とともに在り、観客とともに成長する。
ふたたび SWING ME AGAIN コレクターズ・エディション [DVD]
ハンセン病、国家の不用意、不適切な対応によって世間に偏見と誤解を生み、患者の人格が否定された歴史はしばしば耳にするところ、この作品ではジャズのトランペッターとしてこれからという時にハンセン病に侵され、その道を諦めた一人の男の人生を描く。完治したのに自分の病気にまつわる偏見や誤解が係累に及ぶのを恐れ50年の歳月を施設で費やした貴島健三郎が息子良雄の家へ帰ってくる。腫れ物に触るような扱いを受けながら、出てきたことを悔やむ健三郎。しかし、かって自分が目指したのと同じジャズ・トランペッターとして歩み始めた孫とのふとした出来事から塗りこめたはずの思いが滲み出す。かつての仲間たちとの再会を期す健三郎。50年と言う歳月を内に畳み込んだ謎めいた祖父と新しい価値観で物を見る孫との奇妙な旅が始まる。自分の命が燃え尽きる前に仲間との約束を果たしたい強い思いがオーラとなって健三郎を包み込む。そのオーラが彼を生かし、輝かせる。昔の仲間達を一人一人訪ね歩いていくうちに健三郎や良雄ら貴島一家の人生が詳らかになっていく展開が興味を引き付けて離さない。果たして健三郎は失った50年をどんな形で取り返すことができるのか?主人公貴島健三郎を財津一郎が渋い演技で好演、息子良雄役の陣内孝則もいい。頑なな父親への複雑な感情、家族への配慮、個人的な事業の行き詰まり、悩み多き人間像を演じたことでラストシーンは一層昇華した。また同時に祖父と孫をつなぐジャズへの思い、同じ目標を目指した仲間の絆の強さ、音楽というものの持つ不思議さや力をも楽しみながら、それらをうらやましく思う作品だ。
ハンセン病 重監房の記録 (集英社新書 (0339))
ハンセン病といえば、映画「ベンハー」で、ベンハーのお姉さんとお母さんが地下牢でハンセン病(らい病)に罹り、皆に恐れられ、「死の谷」に送られたというストーリを思い出す。世界中で発生している恐ろしい病気だが、既に治療法もみつかり、ある種、「解決された病気」というくらいの認識だった。
手足が変形してしまうなど、症状が外にでるハンセン病患者に対しては、むかしから、この国でも共通して差別があり、隔離政策などの措置らしい。ただ、日本だけが突出して過酷な隔離をとり、また、療養所に「重監房」という独房まで設置していたという。実際、患者の生活環境改善などの運動をした人などが入れられ、何十人も命を落としている。
1931年にわが国ではらい予防法が制定され、全患者を隔離の対象とされ、最終的に廃止されたのは1996年である。1943年にはアメリカでプロミンという薬が開発され、感染力も低いということが次第にわかってきたのにである。
2003年にも熊本県でハンセン病元患者宿泊拒否事件が報道された際、未だにこんな差別が起きているんだと驚いたが、この事件について、本の中で元患者さん谺さんのコメントを紹介している。「私達は、園のなかで、職員からひどいことばをぶつけられたりしてきて、それには慣れていたんです。しかし、今度の事件のことはこたえました」
法律は廃止できるが、その法制度が残した胎児標本などの問題や、さらに法制度を支えた人の根底の差別感情は、今も続いている。