心ヲナクセ体ヲ残セ (角川文庫)
「主人公のいない場所」という題にまとめられた短編集は、いっぺんが4ページほどのとても短いものが24編。短いながら、生がずっしりと重たい。どこかしら、理不尽で、不条理で、死の臭いがはしばしに漂う。本来、生は常に死を傍らにするものだということを思い出さされる。
「渡鶴詩」「雀遺文」「アズマヤの情事」「ジーンとともに」の中編は、私にもぐっと読みやすいものであり、物語に引き込まれた。
人間が発展の名の下に自然破壊を進める時代の野性に生きる不条理や理不尽は、「渡鶴詩」や「ジーンとともに」で痛切にあらわされる。
しかし、「雀遺文」でも「アズマヤの情事」でも、理性という壊れた本能ではどうにも得心できぬ、あの燃え立つ衝動、自分の中にあるもう一人の自分の声を聞かされることでは共通である。この「雀遺文」が私は好きだ。
確かに単なる擬人化ではない。その上、単なる自然観察報告でもない。人間とはまったく異なる肉体を持ち、精神を持つ存在としての鳥。その異なるという感覚がクリアに体験されるような、不思議な文章だった。
2008年、誰かニジドリを見ただろうか。
飢餓海峡 [DVD]
史上最強の映画の一本。西の横綱が「市民ケーン」なら東はこれしかない。
16ミリで撮影してブローアップしたざらざらして生々しい画面、映画的リアリズムをとことん見せ付けるキャメラとアングル、何度見ても強烈な居心地悪さを与えるソラリゼーションによる心理描写、そして内田吐夢のシグネチャであるロングショットの数々。
だがそれだけではない。怪力の大男三国連太郎、女の哀れ左幸子の朴訥な田舎娼妓、うらぶれた退職刑事が執念の親爺に変身する伴淳三郎さらに脇を固める強烈な個性たちがぶつかり合う、もうそれだけでも果てしなく泥沼な世界をひとつの映画中このように捌ける(いや捌かずむしろそのまま撮ってしまえる)のは内田監督以外にいない。
さらに各シーン、モンタージュ問わず、全体を通して、映画自体が空中分解してしまいそうな、そういう不安定さが続くのだが、それこそがそのままこの救いようの無い人間たちの物語りそのものの強烈なカリカチュアなのだ。
一度見てしまったあなたはもう、もどるみちねえぞお〜けえるみちねえぞお〜。
自然連祷―加藤幸子短篇集
短編集。
蜻蛉秘画
海辺暮らし
カモメの落ちた日
シビルになりたい
ダイバ紀行
ヒマラヤン メイル
亀の島の亀の石
コアセルベートの海
雪売り屋
海辺暮らしが,平成23年のセンター試験の国語で出題。