モーターサイクル・ダイアリーズ コレクターズ・エディション [DVD]
「チェ 28歳の革命」の試写会を見た影響で、「モーターサイクル・ダイアリーズ」を見ました。この映画では、チェがキューバ革命を起こした「根本的な要因」を学ぶことができます。
弁護士一家に生まれ、医大に通うエリートであったエルネスト・ゲバラ。彼は『本だけで知っていた、南米諸国を見て回りたい』と、南米大陸横断の旅を決意します。書籍を読んでいないため詳細は分かりませんが、この時点でゲバラは「貧しい人々を救う」という意識を持ち得ていたのかも知れません。
バイクに、寝袋や食料を詰め込んだものの、ほぼ体一つで南米の旅へ。便利な生活に慣れている私は、「夏服と冬服はどうするんだ?」「風呂は?洗顔は?」「体調を崩したら?」などと心配をしてしまいました。
道中では、チリの寒い雪山やら、牛が歩く田舎道など、想像もつかない環境が現れます。何回もバイクで転倒しながら、それでも突き進む2人。詳しい描写は映画に譲りますが、この体験が、体一つでメキシコからキューバに乗り込み、ゲリラ戦を展開する発想を生み出したのかもしれません。
映画の前半では、旅の辛さや、2人の人間関係にスポットが当てられていました。そして、ペルーに入国する後半からは描写も急展開し、「貧しい人々への共感」がテーマとなっていきます。象徴的なのは、「地上げ屋に自らの土地を追い出され、共産主義だからと警察に追われ、やむなく銅山での危険な労働に飛び込む夫婦」との出会いです。やや、突然現れた感はありましたが、ゲバラの意識変化がひしひしと伝わった瞬間でした。その夫婦、正確には夫は、銅山での仕事を手にするのですが、その雇用者の態度があまりに横柄。彼にに対してゲバラは怒りをぶつけます。『喉が渇いているのだから、水くらいあげたらどうだ!』。そして彼は、自らの全財産(彼女から買い物を頼まれたお金、しかし彼女には別れを告げられたはず)である15ドルを手渡します。(後に判明)
その後の道中では、地上げ屋に土地を追い出された貧しい人々と「これでもか」というくらい遭遇します。彼らが共通して言うことは、『私達は団結している。少数だからこそ団結する。』キューバ革命への伏線として用意された発言でしょうか。他にも伏線はありました。マチュ・ピチュにて、『革命を起こしたい』・『銃がない革命は無理だ』と口にするのです。ペルーの貧しい、哀れな人々が、ゲバラに対して「体制打破への想い」と「武力闘争という現実的な選択肢」を与えたのでしょうか。共産主義への是非は別として、人々の為にここまで震え上がることの出来るゲバラを、本当に尊敬した瞬間でした。(私は今まで「自分の為に」「自分の成功を」とばかり考え、近視眼的に自分のメリットを追求して生きてきました。そんな私の人生には、「人々のために、誰かのために」という視点が欠落している。時代が違うとはいえ、どうしてここまで考えが及ぶのでしょうか。)
続いて、ペルー市街での知り合いの医師を経由して、ハンセン病の人々が療養する地域へと足を運びます。この頃のゲバラは既に、「貧しい人々を何とかして救いたい思想家」となっていました。ここも実際の描写を見て頂きたいのですが、「手袋をつけないシーン」や「アマゾン河を渡るシーン」に表れています。特に、誕生祝いの席での発言は、「革命家チェ・ゲバラ」そのものでした。
『意味なく分断されているが、南米大陸は一つの多民族国家だ。皆さんの代弁者ではないが、何か出来ることがあると思う。』(フレーズがうる覚えですが、趣旨はこういったものでした)
この時点で既に、「貧しい人(労働者階級)vs富める人(資本家階級)」、「貧しい国(南米諸国)vs富める国(欧米諸国)」という図式は描かれていたのでしょう。恐らくゲバラは【1】「富める人で、貧しい国」に生まれたからこそ、ゲバラ足りえたのだと思います。【2】「貧しい人で貧しい国」なら何も出来ません。【3】「富める人で富める国」なら問題意識を持たないでしょう。【4】「貧しい人で富める国」ならば、自分の成功を目指して突き進むのではないでしょうか。そう、それが「アメリカン・ドリーム」です。自分の生活はそれなりに豊かである。それは家庭環境もあるし、高い教育を受けたおかげで、自分も豊かな生活が送れそうである。しかし周りを見渡してみると、教育すら受けられず、生まれながらにして貧しい人生を決定付けられた人がいる。『人の役に立ちたい』と何度も口にするゲバラからしたら、不甲斐無くて仕方がないのでしょう。
自分の人生について、本気で考えさせられる映画でした。
チェ28歳の革命・チェ39歳別れの手紙も、是非鑑賞してください!
差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も (平凡社新書)
最初の、元「患者」の聞き書きを物語化しているところは、正直読み物として緩い印象があって辛かったのですが、後半の、特にあの分厚い「報告書」の問題点を要約している5章なんかは、人権授業の資料としても使い勝手がよさそうで、たいへん読み応えがありました。
最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること (DVD付)
池間さん。日本全国学校での講演活動是非お願いします。
一校に一人は絶対に池間さんのお話で助けられる日本人の子供が必ずいると思います。
私も小学生ながら、たまにTVで流れる自分が思う貧しいお国?の映像で 「あ!私は全然ましなんだ」って子供の頃勇気づけられました。
日本人ですが、私も小さい頃お家 ご飯を食べられないほどビンボーでした。
お家に帰っても、鍵をかえられてなかに入れない、
借金取りはくるし、北海道で真冬なのに灯油すら買えない生まれたばかりの弟に母親から、お乳がでない、、、、
朝起きると、家の床中ガラスの破片だらけ、、、、、、
でも私には、屋根があるお家に住めるし、母親、兄弟もいる。
日本人なので義務教育で小学校にはだれでも行けます。そこでみんなが残したパン&牛乳お家に持って帰ってました。ですので、餓死する事ありません。
あと、日本人にうまれたので、将来の夢も持ててました、「一生懸命働いて普通の生活(日本人的な)を絶対おくってやる」という、、、、
「大人になるまで生きる事」は日本人に生まれた以上当たり前になってますよね、、、、、、
改めて もっともっと一生懸命生きていきます。
池間さん 私頑張ります。
本当に感謝します。
ハンセン病を生きて―きみたちに伝えたいこと (岩波ジュニア新書)
過去において、日本社会が犯してきた、典型的な間違いの歴史のひとつに「ハンセン病問題」がある。
2001年(平成13年)ハンセン病国家賠償請求訴訟の「勝訴」…この二文字に関係者の方々はどれほど感慨深かったことであろう。
特効薬プロミンの登場によって、ハンセン病は治る病気になったにもかかわらず、強制隔離を法律の中心に据える考え方が継承されていたのである。「らい予防法」は199年(平成8年)ようやく廃止された。この時の国の謝罪にも多くの問題点があったことを本書は指摘している。
本書の副題が「きみたちに伝えたいこと」とあるように、「ハンセン病問題を学ぶ」中・高校生向けに分かり易く、問題提起をしている。「差別」とは何か、「排除」とはどんなものかを考え、学ぶのに適当な書物である。
著者自身がハンセン病療養所での治療を経て全快した、体験者であるだけに語る言葉に重みがある。沖縄屋我地島愛絡園からの「脱走が私の人生をひらいた」(第4章)「回復者として生きる」(第5章)人間に成長していく過程が述べられている。
「ハンセン病を理解するために」(第7章)誤解を解かなければならない。「遺伝病」ではない。「らい菌」による「感染症」であるが、その感染力は弱い、というはっきりした認識に立たなければならない。これまでの歴史で偏見に曝されてきたことも学ばなければならないだろう。
現在新規患者数はほとんどないと言ってもいい。この問題に対する誤解・偏見を解き、正しい認識にを得るための分かり易いテキストと言えよう。
隔離―故郷を追われたハンセン病者たち (岩波現代文庫)
私は、ハンセン病の問題は、マザーテレサの伝記を読んだのがきっかけでずっと関心がありました。でも、明確にいろいろな本を読むようになったのは、平成13年の熊本ハンセン病裁判判決のときからです。
この本は、昭和50年代のらい者からの聞き取りを中心にしています。本当に、様々な不幸の形があります。
隔離政策は、今は全く悪であるとわかりますが、決定された当時は善意から起こったものでした。社会かららい病を隔離し、生計が成り立たなかったり、家族で差別・迫害を受けているらい病患者を引き受けて治療することで、家族、地域、国家をらいから守り、平穏を実現するという考えでした。
ここにも、正義が、人を押しつぶす構図があります。
病の悲惨と、権力の暴戻と。
今は、らいという言葉自体が避けられて使われていません。四国巡礼のお遍路やお伊勢参りなど、宗教的な慣習にらいが関わっていたことも忘れられつつあります。多くのらい者がものしたたくさんの文学も、遠い時代のものになっています。そして、隔離を受けた患者たちが亡くなりつつある今、隔離政策の光景は失われつつあります。でも、きっと忘れるべきではない歴史です。