妻の超然
巧いと感じたのは「下戸の超然」。
だが、何度も繰り返し読んだのは「作家の超然」。何度も読んだ、というか読まずにはいられなかった。
一応小説の形をとっているが、これは完全に彼女の独白だ。
「作家の超然」には、彼女が持つとぼけたユーモアや毒のあるユーモアは存在しない。そこにあるのは、一人の作家が作家としての自分を振り返り、そして自分の立つべき場所を見詰める姿が、(彼女にしては直截な)言葉や文章で叩きつけられているだけだ。胸が詰まる想いがした。
二人称で書かれる「おまえ」は勿論、二番目の兄も、そして「おまえ」と語る第三者(文学の神様?)もすべて彼女自身を指しているのだと感じた。
彼女の小説は主人公や登場人物に自身の姿をある程度重ねる自己投影型だが、あくまでそれは小説の題材として投影させていたに過ぎない。また、自己投影型と書いたが、出来上がる作品には、それを冷静に見詰めるもう一人の絲山秋子の視点が感じられるので、正確には自己投影型とはいえないのかもしれない。
しかし、この作品に投影されているのは作家・絲山秋子そのものだ。
当然、彼女も作家としての自分を振り返ることはあるだろうし、これからの自分を考えることもあるだろう。しかし、いままで、そのような気持ちをまともに作品にするという気持ちがあったとは思えない。自身をあからさまに語ることを厭う作家だと思っていた。
それは間違いだったのだろうか。それとも、彼女の中で何かが起きたのだろうか・・・。
単なる勢いだったのだろうか。もし、仮にそうだとしたら発表した後で後悔しているような気もする・・・。
*何度読んでも意図が理解できなかった部分があった。新聞社を批判するくだりだ。もちろん書いてあることはわかるし、批判の後に書かれる文章との繋がりも不自然ではない。しかし、どうしてもこのくだりに異質なものを感じると同時に唐突なものを感じてしまう。他の方はこの部分をどう読み取ったのだろうか、とても気になるところだ。
下戸でも自信が持てる本―酒の飲めない人生はこんなに楽しい!
タイトルを見て、「ああ、自分も下戸だったんだよなぁ」って思い出して買いました。加藤鷹さんも下戸らしいんだけど(それにもビックリ!)、そのインタビューの内容が結構かっこよかったな。「酒を飲ませるのも甘え、酒を拒絶するのも甘え」っていうのは、かっこいい発言だと思った。インタビューあり、偉人下戸の紹介あり、と盛りだくさんで楽しかったです。
娯楽(バラエティ)
このアルバムを聴いて最初にそう思いました。
浮雲さんや伊澤さんの作曲した曲もいいけど、今まであった新曲を初めて聴いた時のワクワク感とか、イントロだけで好きになって聞き込んでしまう感じがないです。
正直TOKIOが歌う「雨傘」の方が好きです。
好みの問題なんでしょうが椎名林檎が作った曲を東京事変が演奏して欲しかった。
「椎名林檎の作曲」が好きな人には不向きなアルバムかも。
下戸の逸話事典―歴史を動かした非酒徒たち
お酒が飲めなかった(飲まなかった)歴史上の人物を集めています。
中身については江戸期以前の人物はデータがあまり具体的でなく、飲めなかった(飲まなかった)といってもいまひとつ迫力を感じませんが、歴史も西郷隆盛あたりになると信憑性を感じます。その西郷や山本五十六あたりはどこかで飲めなかった、というのは読んだことはありますが、明治維新期でも大久保利通、大山巌、さらに高島 鞆之助や篠原国幹、村田新八あたりまで飲めなかったというのは薩摩藩のイメージと相当かけ離れていてなかなか面白いものがありました。そう言えば、高島 鞆之助は侍従をしていたころ、宮廷の女官に散々いじめられて相当辛い経験をしたらしく「あの頃のことを思えば何でもできる」と言っていたと司馬遼太郎氏が「飛ぶが如く」で書いていましたが、お酒でも苦労していたのですね(本書を読むと、酒豪の明治天皇の相手が大変だったらしい)。
河野一郎のようにソ連で、無理強いをさせられブランデーでぶっ倒れるなどお酒の飲めない人は、やっぱり大変だなと思う反面、あまり強くない私のような人間にはそれでも事はなされたのだ、と多少心を強くできることがあるのかもしれません。