人の死なない世は極楽か地獄か (バク論)
自らが産生するエネルギーの40倍を外部からもらって
消費している現代人は、途方もないほど資源を食い散らか
してると、あの「ゾウの時間ネズミの時間」で有名な本川
達雄の人工長寿の話はなるほどと何度も膝を叩く。
石川英輔の大江戸人口事情では、8代将軍吉宗が、国勢
調査を各大名に命じて自分の領国の人口を調査、3100
万人という信頼できる数字の記録を残している。この人口
は、大革命当時のフランスで2800万人、日本より5割
広く、ほとんど平地であるフランスと遜色ないということ
は、当時から、人口過密だった我が国がみえてくる。
高木由臣の「生物の寿命」についての解説は卓越してい
る。寿命という考え方自身に言及し、老化は体の機能の抑
制過程と論じる。
団まりなは、生物が敢えて寿命を選択した話もなるほど
細胞の進化のために選んだということがよく分かった。
上田紀行の「病むからこそ癒しがある内的成長をうなが
す生き方」では、原発事故後、私たちはどう生きていくべ
きなのかを説く。
最後の養老孟司のあとがきは短いがよく本質をついてい
る。実に面白い本であった、何度も読み返せる、手放せな
い良書、おススメ。
大江戸仙境録 (講談社文庫)
まず、江戸時代の市井の庶民の生活や街の作りが詳細に描かれており大変参考になります。
また、主人公が現代と江戸時代を往来する過程で、文明や科学が進んだ現代社会と江戸の古き良き時代を比較批評する、
作者の個人的見解に基づくご意見もそれはそれとして読ませて戴いております。
物語の内容は一人の男性が特殊能力を偶然身に着け現在と過去を行き来します。
現代社会では周囲も羨むほどの容姿端麗の女性と生活しながら、
過去の江戸では自分の娘ほどの歳の差がある辰巳芸者「いな吉」と良い仲になっているという何とも羨ましい設定。
艶めいたことも作品中には描かれてはいるのですが、艶書の様ないやらしさは全くと言って良いほど感じません。
おそらく、作品の主眼が、文明の進歩に毒された現代の社会環境に生きる我々と、
文明開化前の決して裕福とは言えないものの楽しく必死に生きている江戸の市井に暮らす人々とを比較し、
果たしてどちらが幸せかを投げかけることにあるからではないでしょうか?
要は、国民所得は低くても幸せ度が高いブータンと、国民所得は高く経済大国ではあるものの、
自殺者が毎年3万人を超え、ニートや鬱病に苦しむ人々が多い日本と、果たしてどちらが本当の幸せかを投げかけている。
紅葉詣でに浮き浮きと喜ぶ江戸時代の大人達、一方、慌しい通勤時に所構わず携帯を見ながらノロノロ歩く若者達、
20年前に発刊された小説だけに意味深いと思います。
大江戸遊仙記 (講談社文庫)
何も考えずに手に取ったのだが、「大江戸神仙伝」「大江戸仙境録」に続く第3作で、続き物なのだった。
もっとも、前2作を知らなくても理解できるように配慮はされていて、これだけを読んでも、わけがわからない、などということはない。
主人公は、40代の著作業で、妻は30そこそこ。江戸時代に行けば19歳の芸者が恋人。「遊仙記」というのが「遊仙窟」を思わせる。
現代と江戸時代との対比の必要上、そういう設定になっているのかも知れないが、作者の願望も少しはあるのでは、と思いながら読んでいたが、読み終わって考えたのは、「これは男が主人公でなくてはならない」ということ。
女が主人公で、現代では年上の夫がいて、江戸時代に行くと若い役者が恋人で、というわけにはい!かないだろう。特に江戸時代においては、男ほど自由に行動するわけにはいかないだろうし。女性が書いても主人公は男にするだろう。
全体としては、小説と言うよりは文化論である。特に大きな事件が起こるわけではない。主人公が現代と江戸時代を行き来してその違いについて考える、という話。
江戸時代はこうだった、という説明的な文章が多い。主人公の思考の形を借りて、作者が現代日本を論じるのが5ページも続いたりする。(p111~p114)
また、「中野」の章では、主人公と妻の会話の形で、現代政治論が語られる。
単純に、江戸時代の方が良かった、と言っているわけではない。しかし、現代日本のあり方は間違っている、という意識は強い。