それでもボクはやってない スタンダード・エディション [DVD]
この映画の本質は、
司法制度の問題や冤罪ではない。
私たちの生きている「国」が
どういうシステムで成り立っているのかを
告発している映画なのだ。
普段平凡に暮らしていて知らなかった恐怖が
ボタンを掛け違えみたいに
ある日、たまたま満員の電車に乗ったフリーターに
襲い掛かる。
個人の正しい主張がとおる正義などなく
国に都合の良いように裁判が進んでいく。
そして、「それでもボクはやってない」と言えるのか?
絶望の中にあってそれに立ち向かうヒトの尊厳を
加瀬亮が見事に演じきっている。
そこに微かではあるけれど、確かな救いを見出せる傑作。
+act. Mini (プラスアクトミニ) vol.16 (+act. 2012年 3月号 増刊)
ラッキーセブンの松本君目的で購入したのですが、
ほかの方の所も見ごたえがありましたよ^^
松潤目的の方は、瑛太くんや大泉さんが、
松潤をどんな風に思っているか?などわかって楽しめます♪
お勧めです^^
ばくだん!~幕末男子~(3) (講談社コミックス)
3巻では主人公のマコトが、手に入れたお札に未来予知の能力があること、タイムスリップして
お札を持っている人間は主人公たちだけではないことなどを知り、ストーリーが複雑かつ壮大になってきました。
そして新キャラクターの人斬り以蔵が登場し、マコトと立ち会います。3巻はこの立ち会いの最終話の
ひとつ前まで収録されています。
加瀬あつしの漫画のなかで最もスケールが大きくなりそうなので楽しみです。
誰も知らない [DVD]
見ていて少し辛い映画だった。ひとつには大人と一人としてとても考えさせられたからだ。父親が違う4人の子供たち。皆、学校に一度も行ったことがない。そんなことってあるのだろうか。新しい男ができ、「クリスマスには帰るから」と当座の金を12歳の長男の明に渡し、「よろしくね」と、子供たちを置き去りにする母親。そんな母親でも子供たちは慕っている。母親は正月になっても、春になっても帰ってこない。生活は困窮、食うにも困るようになる。それでも明は4人一緒に暮らしたいと「保護」を拒む。撮影に一年以上かけたそうだが、子供たちの日常の描写は演技しているとは思えないくらい自然でリアリティがあった。台詞を事前に教えず、その場その場で時間を掛けて撮影したという。ドキュメントのような自然なリアリティもだから生まれたのだろう。明が徐々に「家長」のような顔に変わっていく。電気も水道も止められ、馴染みになったコンビニで廃棄される食品を貰いなんとか凌ぐ。それでも4人一緒に暮らしたいのだ。無責任な母親を責めるのは簡単だが、映画ではそんな描き方はしていない。こんな状態に置かれた4人の子供たちを、本当に「誰も知らない」のだろうか。そんなはずはない。「誰も知ろうとしなかった」だけではないのか。最後の悲劇は避けられなかったのか。88年に起きた事件をモデルにしているそうだが、この10年で日本は様変わりした。もっと悪い方に。人とあまり関わりたくない。他人への無関心。ありきたりな表現だが、地域社会=コミュニティが崩壊しつつあると感じる。とくに、大都市では。自分にもそんな自覚があるから見ていて辛かったのだろう。日本社会のいまを描いた秀作だと思う。
カクト [DVD]
CGやデジタルビデオを駆使した斬新な映像、TUUKe、es9、DJ Dominoらが創りあげたエレクトロニック・ニュージック、ちょっと服装を気にする若者ならあれもこれも欲しくなってしまうストリート系ファッション(伊勢谷友介が着てるからってのもあるか…)、『カクト』を語るには、そのどれもが外せない。こんなにもユース・カルチャーを詰め込んだだけあって、『カクト』は、ただのファッション映画として観ても、かなりおもしろい。特に、エレクトロニック・ミュージックとCGが生み出すスピード感は圧巻である。しかしなにより、現代の若者を中心に据えたストーリーが僕は好きだ。
画一的に見られがちな若者から多様性を発見しようとする姿勢、無感情と思われがちな若者から今にも溢れ出しそうな感情をすくいとろうとする姿勢、そして、とにかく乾いた現代人を、映画のスピード感で誤魔化すことなく、消えてしまわないよう丁寧に描こうとする姿勢、もはや「ディス・コミュニケーション」なんて死語?と思ってしまうくらい、本作が長編デビュー作となる伊勢谷監督の姿勢は、柔らかく、繊細で、優しかった。
「カクト」は、1997年に中川崇、藤元明、伊勢谷友介の3人で結成された、グラフィック、立体、映像、インスタレーションなど多岐に渡り活動するアート・チームである。注目すべきは、「カクト(覚人、覚都)」という造語の意味について伊勢谷監督自身が語った言葉だ。「目覚める人、目覚める都」に伊勢谷監督が込めた思い、「自分自身の小さな変化に気付くことが出来たら、それが未来への大きな変化に繋がる。そして、それが集まり、大きな力になっていくとき、それは都(文化)をも変えていく力になる。」と、これを聞けば、伊勢谷監督のあの真摯な姿勢も頷ける。新世紀日本映画のカタチは、驚くほど好感の持てる青年のような姿をしていたのだ。