テヘランでロリータを読む
この本をどうジャンル分けすればいいんだろう?
『英文学者である著者、アーザル・ナフィーシーが教え子と共に過ごしたイラン革命記。』
こういってしまえば不正解ではないが、その表現ではこの本の事は何も伝わらない気がする。
強い、政治批判の顔をもった本。
激しくフェミニズムをうたった本。
それは確かだけど、激情を駆り立てる本ではない。激しい言葉なく、常に冷静で抑えられた言葉ばかりが選択されている。
自分の体験記である。
それでいながら、その体験はあまりにも普遍的である。イラン女性の体験記、といいながらそれはどの国にいる女性でも、女性でなくて男性でも、
共感せずにはいられない。
自分なら、この本を『想像力の物語』と言いたい。
『人は事実と言うが、事実は感情、思考、感覚によって追体験され、再創造されなければ、不完全なものでしかない』
この本を読んで、イラン革命に暮らす人々を想像する。全体主義に抑圧された女性、戦争で無下に命を奪われた若者を想う。共感する。そこには、どんな人間でも分かちあえるものがある。
その想像と共感を喚起するものこそ文学だと、筆者はこの本を通して強くいっているようだ。
過酷な体験をした著者を救ったのは、いつも文学を読むという行為を共有できる人々。
そして未来のどこかで出会うべき、文学を通して想像を分かち合える人々。
そして、この本の読者にも作者は想像力と共有する事を求めているように感じた。
このように重く、長く、やさしくはない本が全米で150万部も売れたというのは、筆者の想いが届いたのではないか?
うれしく感じるベストセラーだ。