ピアノはいつピアノになったか? (阪大リーブル001)【CD付】
ピアノ曲が大好きだというとき、一般には、スタンウエイやベーゼンドルファあるいはヤマハなどのコンサートピアノを使って、
大演奏家が大曲を演奏したものを聞いて、解釈がいいとか、響きがすばらしいと感じながら楽しんでいるのだと思う。
しかし、この曲は作曲当時どんな響きだったのだろうかとか、この曲の音の連打などいまのピアノでは必要ではないのに
と考えながら自分の世界に浸るのも、また別の楽しみ方だと思う。
ピアノの歴史や構造を書いた本は外国にかなりあり、日本にも少しはある。
けれど、内容は充実しているが教科書的知識を与えるだけの無味乾燥なものが多い。
その点、この本は楽器と作曲家の依存関係が書かれていて、物語的面白さも持っている。
また、当時の楽器の特徴と曲の関係が、ピアノ譜で示されている。
読譜能力がなくても、常識的な最低限の楽譜知識があれば、本文の説明で理解ができる。
添付されているCDで古楽器の演奏をきくと、
楽器の改良と並行して次第に技巧的大曲が作曲されていった経緯がわかり、
メカニズムがいかに作曲に影響をあたえているかよくわかる。
楽器の改良と作曲技法の相互作用を知れば、ピアノ曲がもっともっと深く楽しめるのではないだろうか。
チェンバロ フォルテピアノ
ふしぎな本である。
大量の図版や極めて詳細な楽器に関する記述等々、資料性の高さは随一のものである。特に、楽器の構造を記したイラストは、詳細かつ見やすいもので、楽器の構造を理解する糸口としては、本当に助かる。
そのような資料性の高さはもちろんのことだが、この本の終わりにフルトヴェングラーが登場するように、音楽家としてどのように歴史的楽器を演奏すべきか、という演奏論のベクトルも強く刻まれている。
そのような学究的な視点と芸術家としての視点がクロスしたこの本は、一見矛盾するかのような、その二つのベクトルの交差によって、却って歴史的楽器のありざまを、読者にわかりやすく提示していることに貢献していないだろうか。分厚いボリュームにも関わらず、最後まですらすらと、そして興奮を伴って読了してしまった身には、そのような奇跡的な出会いがあったとしか思えないのだ。
J. S. バッハ:イギリス組曲 [チェンバロの歴史と名器3]
チェンバロの音というと眠くなりそうという印象を抱きがちですが
ルッカース1624年のチェンバロは、18世紀の物と異なり爪が頑丈で
弦を強く弾きます。
そのため非常にエネルギッシュな、躍動感に溢れるイギリス組曲と
なっていますが、荒々しさを秘めていても粗さは全く感じられず、
かつ古くささも全く感じないのはさすが希代の名器。
何も知らない人が聞けばシンプルに音の美しさを感じ、
少し知ってる人ならチェンバロからこうも華やかな音が出る事に驚き、
詳しい人なら第4番プレリュードの分析トラックを聞きながら
ライナーノーツの解説を読み、奥の深さに唸ることでしょう。
選曲も演奏も録音も解説も、納得の一品です。この中身でこの値段は
はっきり言ってお得。
ただ一つ、ここまでやってSACDハイブリッドでない点だけが
画竜点睛を欠いてる気がしてならないので苦渋の☆マイナス1です。