完訳フロイス日本史〈11〉黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国―大村純忠・有馬晴信篇(3) (中公文庫)
1590年7月、巡察師ヴァリニャーノが訪欧少年使節4人と共に長崎に来日したことが、第86章に書かれている。その少年使節4人とは、ローマに赴いた(伊東)ドン・マンショ、(千々石)ドン・ミゲル、(原)ドン・マルチノ、(中浦)ドン・ジュリアンである。入港2日目には、キリシタン大名である大村純忠の息子(喜前)が従兄弟の(千々石)ドン・ミゲルや仲間を訪ね、3日目には有馬晴信達がこれら少年使節を訪ねたとある。
「巡察師と4人の貴公子、およびその他イエズス会員たちの、この渇望されていた到着は、ただに我らの同僚のみならず、全キリシタン宗団に、あたかも天空から新しい光がさしこんで来たような慰安と喜悦をあまねくもたらした。」とある。少年使節の一行は、8年前に日本を出発した時よりも大いに成長し容貌が変わっていたので、訪ねてきた大村喜前達は、(千々石)ドン・ミゲルをはじめ帰国した他の少年使節たちを識別しなかったし、使節の一行も幼い時にその従兄弟たち一族と別れたので彼らを見覚えていなかった。キリシタンたちは彼ら一行が語ることを聞くのを大いに喜びとし、しかも最も肝要なことは、一行の談話を信用したことにあった。
なお、日本副管区長ガスパル・コエリュ師の逝去と有馬での同師葬儀のことが、第89章に記されている。ガスパル・コエリュ師は、ポルトガル出身、イエズス会に入り24年、日本に派遣されて18年になり、1590年に加津佐村にて62歳で逝去した。
日暮硯 (岩波文庫)
江戸時代のビジネス書という紹介が一番正しいと思う。
財政破綻した藩に 恩田木工という経営者が登場し 自らを律した姿勢で リストラに取り組み 見事に成功したという話である。「藩」を会社に変えれば そのまま現代でも通用する経営学の本である。
かような本が江戸時代に書かれ 現在まで読み継がれている点に 日本の文化風土の一端が見られると思う。プロジェクトXもそうだし 巷間に溢れる経営関係の本を見ても そもそも日本人は このようなストーリーが大好きなのだということが見えてくる思いがする。おそらく それも 今日の日本の経済発展に資しているのではないかと思う。そういう意味では 日本人は案外「地道に努力している人」に対する視線は温かいのかもしれない。