艶紅(ひかりべに) (文春文庫)
主人公、久乃の揺れながらも、最後にはきりっと居ずまいをただし、結論をだす凛々しさが美しい。惚れぬいた相手にほど、こういう決断、なかなかできない。でも、そこが大人なんだと思う。
藤田宜永の恋愛小説はいずれも好きだけど、この作品は読み進むほど胸に迫って印象深い。彼って男性なのに、どうしてここまでリアルに女ごころが描けるのだろう?
笑う蛙 [DVD]
長塚京三さんが好きで観ました。しかしいまひとつ作品の趣旨が私にはよくわからない作品でした。各方面で活躍されている俳優を使っているのに何だかぱっとしない気がします。他の方も言うとおり監督の問題でしょうか?俳優の個性をまとめ切れていない感じがします。私は周防正行さんあたりが良かったのではないかと思います。
ウサギ料理は殺しの味 (創元推理文庫)
原題 "FEMMES BLAFARDES" とは、仏語で『蒼白の女たち』という意味らしい。
それが『ウサギ料理は殺しの味』とは、なかなか意味深で興味をそそる邦題だと思う。
フランスのブラック・ユーモアとは、いかようなものかと思い読んでみた。
まさか5つ星とまではいかないけれども、物語の作り込まれようには参った。
まず、登場人物が多彩である。
しかも、それぞれが独特かつ強烈な個性を放っている。
そして、ある拍子をきっかけに、彼らの人間関係が順々に連関し始め、
やがてそれらが環状に連なった時、殺人が起こる仕掛けである。
(「時計仕掛け」ならぬ、「人間関係仕掛け」とでも言えようか。)
それが、木曜日の夜。
カントワゾーのレストラン《オ・トロワ・クトー》でウサギ料理が出される日なのであった。
町の人々は、人間のあらゆる欲望の代名詞である。
名誉欲、自己顕示欲、食欲、愛欲、性欲、支配欲などを象徴している。
というより、剥き出しと言っていい。中でも、性欲がどぎつく強調される。
こうした、人間が普段ひた隠している―食欲は別か―ブラックな部分を一つずつ丹念に絡めた上で、
見事に滑稽なオチを導いた点は、秀逸というほかない。
本書を集約するのは、以下の部分ではなかろうか。
「この物語のすべて、すべての過程は、社会というコンテクストの中で、人間のほんのちょっとした欠点が
途方もなく重大だということを見事に見せつけてくれている」(342〜343ページ)。
この「ほんのちょっとした欠点」が歯車の突起を形成するのである。
仮にこれを「環状殺人システム」とした場合、どうしても気になってしまうのは、
一体何(誰)がその歯車を回すことになったのか、である。
探偵シャンフィエが町を訪れた時、殺人はまだ2件発生したに過ぎなかった。
それ以前は一応、見かけ平凡に町は回っていたのであって、
やはりフィネット・クテュローの登場が事件の発端なのではないか(331ページ)。
それはともかく、ブラック・ユーモアとして面白かったのは、
途中から「殺人=町の秩序」という逆説が成立してしまい、名士たちが汲々するところ。
何も毎週、婦女を殺さなくても、町の平和は保てるはずなのに、
なかなかそれに気付かないでいる馬鹿さ加減であった(351ページ)。
「環状殺人システム」を構成する人間関係の連結部分は、はっきり言って弱い。
頭を使わずとも、少し考えれば分かるはずなのである。
まあでも、軽く吹き出す程度で「呵々大笑」(解説者)というほどの笑いはありませんでした。
フレンチ・ジョークを楽しむなら、映画『奇人たちの晩餐会』(J. ヴィルレ主演)がお薦めだ。