春の鐘 (上巻) (新潮文庫)
私はこの小説の舞台奈良に住んだことがあります。
まさに小説の舞台である近鉄奈良近辺に3年あまり住んでいました。
そのころ見合い結婚してわたしは24歳(そのころは24歳までに結婚するのが女の花道とされていました、古い時代です。25歳でもう売れ残りのクリスマスケーキだのオールドミスだのとよばれたんですから)
でも夫と二人暮らしでしたが新婚の喜びなんてまるでなく、「新婚が楽しいなんてだれがいいった」とつぶやく毎日でした。
あのころの遠い記憶と小説が重なり、感慨深い小説です。
わたしもその夫とわかれ、別の人と恋愛して(いまの夫)別の人生をあゆんだので
ヒロインの見合い結婚した夫に対する覚めた気持ちや嫌悪感、その後出会った恋人に対する激しい情熱がわかるのです。
まるで失われた青春をとりかえそうとするかのように、
親の方針に従って、嫁にいった反動から、自分が女であることを確かめようとするかのようなヒロインの新しい恋に対する激しい情熱が、わかる気がするのです。
また奈良ははっきりいって住むと退屈な町ですが、小説ではその史跡や風情が美しく歌われ、
小説を陰影深くしています。
情炎 [DVD]
これはすごい・・・。
吉田監督は、なにくわぬ顔で、お昼のメロドラマとアヴァンギャルドを融合させている!!
吉田作品の中でも、「去年マリエンバートで」(アラン・レネ監督)からの影響がとりわけ強い一本だと思います。
岡田茉莉子は相変わらず美しいです。
薪能 (角川文庫)
この作者の日本や日本文化に対する姿勢というのは、何か必死なものがある。それは自身の出自に依るものだろうと一般には言われている。「日本の滅びのことしか考えていなかった。滅び行くものの他は一行も詠うまい。そんな決心をした人もいた」(情炎)、というような主人公の独白を読むとき、そこまで追い込む作者の執念には圧倒されてしまう。
日本の古典文化への傾倒という点では、「活花の師匠が、如何にして上手に花を活けるか、という技巧に熱中しているなかで、(中略)・・・花器や壺に無造作にひとつかみの花を投げ入れ、あるいは小さな湯呑茶碗に一輪さしの花を添えたりした」(情炎)と言うような箇所に、神髄に固執する作者の心根が感じられる。世阿弥の「花伝書」の語句を冠した作品もある!作者にとっては現代風の装飾過多な風潮というものには苦々しさを感じてならなかったのだろう。
本作品集では主人公達(概ね不倫関係にある男女だが)は自分で自分を追いつめ、孤立して破滅していってしまう。作者は、日本文化に対する確固たる視点を持つ主人公達を、繰り返し追いつめ、破滅させることで、自分の身代わりとして自身の破滅を回避して延命するつもりだったのだろうか。やはり圧倒される執念だ。