テヘランでロリータを読む
イラン革命後、イスラム原理主義が支配するテヘランで、英文学者の著者は優秀な女子学生だった教え子を集めて、ナボコフ『ロリータ』やオースティン『高慢と偏見』などの秘密の読書会を行う。倒錯的な中年男が12歳の少女を陵辱する不愉快な物語を、なぜ若い女性たちが必死の思いで真剣に読むのか? それは、実は『ロリータ』が奥行きの深い文学の傑作であり、「他人を自分の夢や欲望の型にはめようとする」(p52)我々人間の深い病理を告発しているからである。そして『高慢と偏見』は、「他者を〈見る〉能力の欠如」「他者への盲目性」が、ヒロインのリジーのような最良の人間にさえありうることを示し、平凡な日常生活の中にこそ「生きることの本当の難しさ」があることを教えるからである(p432)。
文学の本当の力は、それが「複雑なものや規則からはずれたものを読み解き、理解する能力」を養い、「自分たちの白黒の世界に合わせて、世界のもつ多様な色彩を消し去ろうとする傾向」に強く抵抗する点にある(p378)。「私たちがフィクションに求めるのは、現実ではなくむしろ真実があらわになる瞬間である」(p13)という著者の悲痛な言葉は、過酷な現実にあえぐイランだけのものではなく、普遍性のあるメッセージとして我々の心に響く。
テヘラン商売往来―イラン商人の世界 (アジアを見る眼)
イランの繊維業界のフィールド・ワーク経験から、筆者がであったイラン商人たちの像を親しみやすく描き出しています。
読みすすめるうちに、次々と出てくるペルシャ語の商売にまつわる用語にとまどうするかもしれません。
しかし、身近な日本の商売にあてはまるものを思い出しながら読めば、分りやすく読めるでしょう。
世界のどこに行っても、商売に大切なのは人とのつながりや、情報力/判断力などのスキルがたいせつで、基本的な
ことは変わらない、ということが実感できると思います。
この本のベースとなっているのは、筆者の10年にわたる取材経験ですが、「あとがき」には、イランの地にも
グローバリゼーションの波が押し寄せている事を示唆しています。
この本のその後についても、続編というかたちで書かれることを期待します。