利休にたずねよ (PHP文芸文庫)
山本氏の作品自体は素晴らしい出来栄えである。特に最後の張り詰めたクライマックスは、利休の異様な本質を露呈させる設定で、長く尾を引く余韻をかもし出す。しかし、作品の直後におかれた宮部みゆき氏による「解説」は、そんな緊張感と余韻とを一気にぶち壊す無神経さにあふれている。松本清張賞やら直木賞やら、高名な文学賞の選考委員をしている人からは想像もできない軽薄な内容で、秀逸な作品を読み終えた直後に、こんな解説を読んでしまった事が悔やまれた。自分が作者の山本氏であったなら、さぞかし苦々しい不愉快な思いにとらわれたことだろうと思う。優れた作品の解説には、それなりの名文を選んでほしい。
狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎 (講談社文庫)
武士であった主人公が父親とのいざかいから,前から興味のあった刀に関連して刀剣屋に婿入りして活躍する話である.非常に読みやすく読後感も爽やかです.なぜ村正が妖刀扱いされるのかもわかります.
利休にたずねよ
読ませる本である。
利休切腹の日から始まって利休のうちに「美」という病を生ぜしめた若き日の事件へと時間をさかのぼっていく。
この間、多くの人物の目を通して様々な角度から利休の追い求める美の姿を浮かび上がらせていくさまは、細かな伏線や言葉遣いという技術的な意味でもなかなかに良く練られた小説である。
読ませるのである。
著者の伝えたいことが強いせいかあざとさは感じなかった。
大事なのは歴史的な事実ではない。
前半を読んでいるときには、寂があるのは荒ぶるものがあってこそと感じた。
中盤を読んでいるときには、美の絶対性と同時にその脆さ・危うさを感じた。
そして最後に、人間を突き動かすものは、実はしょうもないことであったりするということを感じた。
話してしまえばしょうもないこと。
ただ、内に沈んだことで恐るべき力となって人を突き動かすもの。
歴史に名を残したような人物・事件であってもそのようなものは多い。
美もまた美しくないものから生まれているのである。
いや、「美」自体が気づいてしまえばさして美しくもないもの、なのかも知れないとさえ思えてくる。
この小説には綻びもある。矛盾もある。それでも敢えて☆5つをつけた。
どんな大人物の人生であっても、所詮人生などうたかたにすぎない。
しかし、うたかたにすぎなくとも、しょうもないものから始まっていようとも、美しいものは美しいのである。
そう感じずにはいられなかった。
命もいらず名もいらず_(上)幕末篇
読んでいるうちに、いろいろと思い出しました。
なんとなく基本に立ち返れたように思えます、またストーリーも硬い雰囲気ですが
違和感なく飲み込めますのでなかなか良いお買物でした。
ジパング島発見記 (集英社文庫)
著者の作品を読むのは、「利久にたずねよ」に続いて2冊目。
「利久に〜」の記憶が残っているうちに読むと、がっかりしそう。
連作短編のかたちなのだが、無理に取り上げる人物を西洋人に固定しない方が、まだしも物語世界が膨らんだんじゃないかと思う。
なんだか「こういう切り口で書いたら面白いんじゃないか?」という思い付きで書き始めたものの、思った程ネタがなく尻すぼみ…という印象を受ける。
(まさかネタが揃わないのに書き始めたなんて事は、ないんでしょうけど。)
題材に興味を持って読んだものの、新しい発見も、物語の楽しさも見い出せなかった。