Jacques Brel
私は死去直後に日本で発売された全集(バークレー)と1980年代にフランスで発売されたバークレーとフィリップスの各全集(それぞれLPレコードのボックスセット)を長く愛聴しておりましたが、当コレクションの購入により、それら全てをカバーしたうえに、これまでタイトルと歌詞しか知らなかった幻の作品を含んだ、本当の意味での全集を手にすることができました。オリジナルアルバム15枚、いずれも従来の録音とは見違えるほどの音質で聴けるほか、多くのアルバムには異版等の曲が新たに追加されています。全曲歌詞付きが実に嬉しい。更に、レコードデビュー前にラジオ番組のためにギター一本で録音した28曲(後年のアルバムで聴ける曲が多い)入りのCDが(これもまた良い音質で)特典として付いていますが、まさにレアものです。自分だけが持っていたい。そんな気にさせるコレクションです。
Infiniment (Reis)
ジャック・ブレルのCDを買うのはこれが初めてで、収録曲の多さと値段の手頃さに釣られました。
アメリカ盤なのでブックレットに英訳歌詞しか載っていなかったのだけが残念ですが、他は特に文句のつけどころは無いと思います。逆にフランス語に弱い自分は、英訳で歌詞の大意を掴むことが出来ました。
子どもたち ドアノー写真集 (2)
ドアノーが子どものさまざまな表情をとらえた写真たち。
とってもすてきでした。
創造的に遊ぶ子どもたちをとらえた写真など、眺めているだけで時が経つのを忘れさせてくれます。
ベスト・オブ・ジャック・ブレル
「私は行く」という意味ながら「孤独への道」という曲名をつけられた「J’ARRIVE]というタイトルのアルバムがある。
その曲はこのアルバムでは聴く事ができないのだがみなさんに他の曲も聴いてもらいたく僭越ながら私の解説を通して
もっとJ.ブレルに導けたらと思う。
〜「孤独」- ジャック ブレル〜
訳: 蘆原英了
菊から菊まで
二人の友情は大切だ
菊から菊まで
死の絞首台が二人のドラマ
菊から菊まで
他の花はそれぞれに咲き
菊から菊まで
男も泣く、女も泣く
僕はそこへ行く、そこへ行く
でも僕はもう一度何を愛せよう
骨を太陽に
夏に、春に、あしたにさらす
でも僕はもう一度何を愛せよう
河が河であることを見とどけ
港が港であることを見とどけ
僕をそこに見いだす
僕はそこに行く、そこに行く
でも、どうして今
どうして、そしてどこへ
僕はとにかくそこへ行く
でも、僕は今までただそこへ行っただけだった
菊から菊まで
そのたびに孤独になる
菊から菊まで
そのたびに何かがあまる
僕はそこへ行く、そこへ行く
でも、僕はもう一度何を愛せよう
汽車に乗るように恋を得ること
もっと孤独で遠くへ行くために
安心するために
僕はそこへ行く、そこへ行く
でも僕はもう一度何を愛せよう
まだふるえてる君の罠に落ちること
そして恋に灼かれ斃れ
心が灰になる
僕はそこへ行く、そこへ行く
君が早めに着いたのではなく
僕が遅かったのだ
僕はとにかくそこへ行く
でも僕は今までただ
そこへ行っただけだった
蘆原英了;父蘆原信之と 母藤田きくとの間に生まれる。母きくの長兄はベルエポック時代パリに活躍した画家藤田嗣治。
父の次兄嗣雄はあの日露戦争を勝利へと導いたカミソリと呼ばれた大軍師児玉源太郎の娘と結婚している。
伯父、嗣治を頼って早くよりパリに青春時代を過ごす。青春時代をパリに過ごすといえばかの堀口大学も外交官の父親に長らく連れ添って
その”上等な”環境の中で高められていった日本語の語彙能力をフランス文学を素材として開花させて行ったのであった。
この詩は、己の”生=死”をじっと見つめ出来上がったのだろう。
この詩人ならではの極度に凝縮された孤独感が己ずとこれほどの精神的な格調の高さを獲得している。
菊は弔いに用いる花だがこれを無に置き換えると判り易い。無-生-無、という訳だ。
「でも、どうして今、どうして、そして何処へ」ーこの上なく純粋なこの詩人のイマジネーションの極みにおいて己の死と向き合って迸り出た魂の叫びである。