死のクレバス―アンデス氷壁の遭難 (岩波現代文庫)
最後には目が熱くなって涙がこぼれた。
この話は、”The Art of Choosing”の第一章 第一節 ”SURVIVORSHIP”を観て読んでみようと思った。
概要は、1985年、クライマーJoe Simpson(ジョー・シンプソン)とSimon Yates's(サイモン・イェーツ)が、
アンデスの高峰シウラ・グランデ(6356m)西壁を登攀し生きて帰ってきたという話である。
(そして今も生きている・・・多分。2004年の映画制作の時点ではピンピンしていたらしいので。笑)
6000m以上のピークを攻めることが、狂気の衝動であり、生と死の稜線を歩く行為だと思う。
そして事実何度も死への滑落をしている。・・・ここまで書いて何に感じたのかが良くわからなくなった(笑)
?・・・!
この話を特別なものにしているのは、まず事実である事。行動した本人が書いている事。
そして何よりも99.9%の死から生き残った事。
多分・・・私はリアルなライブの本質みたいなものを感じたのかもしれない。
世界の高峰を登る登山家は多くいる。そして山で命を落とす人間も多くいる。
命を落とした人間は語れない。
狂気を抱え、雪庇の縁から闇を覗き込み、理性と肉体と技術・・・
存在の全てを使って”運良く”こちら側に留まった二人の行動と心の動きに共振したような気がする。
その後、当たり前のように二人はクライマーとして生き続ける(まあ狂っているとしか言いようがない。)
生きることの全ては、シンプソンとイェーツが生き残った一週間(9日間?)の中に全て在るように思える。
謎の情熱に動かされ、恐怖に震え、理性を噛み締め、感情や何や全てをエネルギーに変え、ひたすら突き進み、生き残る。非情な決断や濃密な友情(愛情?)に基づく行動のその全ての正否は、刹那で些細な運で決まる。
ともすれば日常の希薄さに埋もれてしまう何かを刺激され、思い出した気がする。
あえて結論めいたものを言えば歩き続ける事が生存確率を高めるのかもしれない。
少なくともSimpsonは歩ききった。
この話が壮大なつりで無いという前提で(笑) かなりおもしろかった。
!日本版の「死のクレバス」って題名は、ちょっとダサ!日本語も装飾感(修辞)を強く感じるので
時間があったら原書も読んでみたくなった!
ロジャー・シェリンガムとヴェインの謎 (晶文社ミステリ)
ラドマス湾で起きた転落死事件の取材のため、現地を訪れた
小説家で素人探偵のシェリンガムと、その従弟のアントニイ。
当初その転落死は事故と思われていたが、状況証拠から、被害者の従妹で、
遺産相続人でもあるマーガレットによる殺人の疑いが濃厚になっていたのだ。
マーガレットに会ったアントニイは、たちまち彼女に
一目惚れし、シェリンガムも彼女の無実を確信する。
かくしてシェリンガムは、スコットランド・ヤードの名刑事・モーズビー警部を
向こうにまわし、マーガレットの容疑を晴らすべく、捜査に乗り出すのだが……。
本作では、墜死事件のほかに、毒殺事件も発生するのですが、その二つを結びつける
シェリンガムの解決がじつに秀逸(何といっても、あの××よりも、八年も先んじている
のですから脱帽です)。
しかもその独創的なアイディアを、ダミーの解決として使い捨てることで、
予定調和なカタルシスを放棄し、代わりに、シェリンガムの特異なキャラ
を鮮烈に印象付けようとするところが、バークリーの真骨頂と言えます。
要するに、前二作から一貫してモチーフとされてきた本格ミステリの“お約束”に対する徹底的な
相対化とアイロニーが、本作において、“迷走推理機械(?)シェリンガム”として結実したのです。