オレンジ・アンド・タール (光文社文庫)
目の前で友人キョウが投身自殺を遂げてしまったことから、自分を見失ってしまった高校生カズキ、コミヤマ、モリヤ。キョウの「なんか意味ねぇって感じ、ない?」というセリフに象徴されているのだけれど、何かをすることの意味を見出せなければ、自分の存在そのものが否定されてしまうという感覚が、カズキらと同世代のコの共感をよぶのだろうか。
カズキが頼りにする23歳のホームレス トモロウは、カズキらの「頭の中の宇宙の狭さ」を指摘する。「キワキワだっちゅうの」と。トモロウが語る”自分って何”は、曖昧な言葉の羅列でメチャクチャなんだけれど、不思議な説得力をもっている。なんとなくわかったような気になるのは、読者に解釈の幅を与えているからなんだろう。その人その人、そして、その時々の心情によって、いろいろな受け止め方ができるのかもしれない。
「オレンジ・アンド・タール」は、カズキらのふっきっれた感で幕を閉じる。これが、なんだか気持ちが悪い。トモロウという、伝説のスケートボーダーが、カズキらのメンターになって問題解決という美しさ。”リアル”じゃない。
ところが、本書に収録されているもう一編「シルバー・ビーンズ」が「オレンジ・アンド・タール」はそんな不満を吹き飛ばす。トモロウの視点で描かれた本作品は、トモロウ自身の「頭の中の宇宙の狭さ」なのだ。「シルバー・ビーンズ」と「オレンジ・アンド・タール」関係は、箱庭の中にある箱庭のようにみえる。トモロウが、意味から抛り出される感覚を求め、自分について考えることを拒否しているだけに、カズキらの無垢さが苛立しいということか。結局、「オレンジ・アンド・タール」でトモロウがカズキに語った”自分って何”は、トモロウ自身が答えを持っていなかったのだ。
私は、本書がきれい事で終わっていないところを評価したい。
箱崎ジャンクション (文春文庫)
ページを捲るのが惜しい小説。
読み終えるのがもったいないからである。
しかし、そんなもんは滅多にお目にかかれない。大抵は退屈で読み飛ばすか途中で本を畳む。
タクシー運転手、トランキライザー、親権を奪われた男がこっそりと眺める幼稚園児の娘のお遊戯、会社での乗務員同士の喧嘩、二人をホモ扱いして怒鳴り込みに来るアパートのおっさん、点滴を打ちながらタバコを吸う男、点滴の容器への血の逆流、結局何も起こらないラスト……
どれもよかった。
武曲
装丁、表題、字体の美しさで思わず買ってしまった。本の帯も最近ありがちな大仰さがなく、内容の論点だけを述べている。内容は時代物でなく、青春文学っぽい。1人の少年が、全然興味のなかった剣道へと目覚めていくストーリーだが、あらゆる場面でその対峙している緊張感が伝わる。剣道をしていなくともこの緊迫感は味わえる。剣道に経験のある人ならかなり楽しめる。面金の向こう側の表情にこちらまで気圧される。確かにド素人がいきなり才能を見せつける部分はやや現実味に欠けるが、エンターテイメントとして割り切れば許容だ。
筆者のボキャブラリーの多さか、剣捌きの描写は見事な筆致である。さながら山本兼一か葉室麟のを読む昂揚感がある。ぜひこの筆者にも歴史小説を書いてもらいたい。
ただ、現代の高校生を主人公としているため、今風の妙なニュアンスの言葉遣い「ちがうんじゃね?」のようなセリフがそこかしこに出てくるため、やや興ざめする。その点で「−1」とした。