キン・コン・ガン!―ガンの告知を受けてぼくは初期化された (NAVI BOOKS)
確かに闘病記ではあるが、比喩のし方がいかにもナベゾ画伯的視点で、
何度も何度も爆笑を誘う。
特に、テーブルの下に落ちたものを婦長さん自ら取るところの描写なんか、
経済論にまで発展していって、どこまでも脱線しつづけるのだった。
クルマやバイク、飛行機などオトコの子の趣味を持つ人なら、別にガンに興味がなくとも楽しめるはず。
お父さんのネジ
2007年2月に亡くなった渡辺和博の漫画ベスト集。
1975-1982年に「ガロ」に発表された作品が収められており、コマ割の上手さ、余韻の残る幕切れに凄みを感じた。
更に、へたうまのように見えるが非常に上手い絵であることに感嘆させられる。
ちょいモテvs.ちょいキモ
「今世紀最高の危険な本」である。
世界最大の広告代理店の実態から、テレビ局員の乱れっぷり、ITヴェンチャーと税理士の癒着といった、現代「勝ち組」である上流社会の「闇」「暗部」を丁寧に描き込んでいる。
会社紹介図鑑、業界四季報的なショボい書籍では全く分からない日本社会の現実がここにある。
巻末にある、フェルディナント・ヤマグチ氏と渡辺和博氏の対談も凄い。一般的な「下流社会」の問題を、俯瞰ではなく地ベタの例を出してエグっている。
この本を手にとって、読めた人は幸福である。
キン・コン・ガン!―ガンの告知を受けてぼくは初期化された (文春文庫PLUS)
氏の本は、金魂巻以来のファンでほとんど読んでいる。でも、この遺作となった本だけは読んでいなかった。なんとなく敬遠していた、というかな?氏の切り口はどこまでも、シニカルなので、闘病記なんて似合わない、と思いこんでいたせい。ところが、この作品に至っても、まったく文体も心意気も変わらず。逆にうるうるしてしまった。そして、渡辺氏らしいな、と思ったのが、ガンの告知によって、人生が「初期化」された、という表現。その時は、言いえて妙だと思ったが、具体的には、その原因がはっきりしなかった。ところが、偶然にも、つい最近学生時代のサークルの友人の訃報をまじかにして、はっきりとそのメッセージが感じられた。
生き方って、ガンの告知などの外からのワンクリックによって、もののみごとに簡単にリセットされるものだということ。そこから先は「死ぬことを前提に生きる」ということがデフォルトになるんだろう。そこまでは「緩慢にしかし確実に人は死ぬという事実は忘れて生きている」から。しかし、その初期化を行わずに、死ぬことだって多い。突然の病、事故、加齢など。その場合は、その分、周りの誰かの人生が初期化されているのかもしれないけど。人生の初期化、もちろん遠慮したいけど、その人生も生きる価値が多いにある。
金魂巻―現代人気職業三十一の金持ビンボー人の表層と力と構造
「マル金」と「マルビ」という言葉が流行語大賞にも選ばれたベストセラー『金魂巻』が文庫になって帰ってきました。
オリジナルは、1984年に発売されたものですから、四半世紀の月日が流れたわけです。日本経済が世界の頂点に立ち、その先に待ち受けているものがバブル経済だとも知らずに、明るい未来を信じて突き進んでいた頃の日本の様々な職業人の実態を、故・渡辺和博氏、神足裕司氏のイラスト、文章、企画が見事に浮き彫りにしていました。
31の人気職業はどちらかというと作者の身近なマスコミ関係者が多くなっていますが、時代のあだ花のような趣もあり、今見てみると社会学や考現学、経済学の材料に使えるような意味合いも感じます。
選ばれた「マル金」と「マルビ」も、取材対象者の身長、体重、年齢、出身学校、実家、年収、自宅、オフィス、仕事、読書、酒場での話題、趣味などの基礎データが詳しく書かれていますので、その比較が興味を惹くでしょう。丁寧な取材の結果がイラストにも表れていました。具体的なファッション・アイテムが描かれていますので、なるほどそうか、というイメージが造り上げられました。
タラコ・プロダクションがこの企画を各週刊誌に持ち込んでもどこの編集部も相手にしなかったわけで、主婦の友社の編集者の松川氏の炯眼が光ります。
「マルビ」の生活は大変そうですが、現在の2極化した日本の閉塞性を考えれば、まだ幸せな「マルビ」の実態だと思いました。なにしろ笑い飛ばすことができる余裕が周りにも当事者にもあったわけですから。
これが再発売される今日的な意味合いもそこにあるように感じました。