フレディ・マーキュリー追悼コンサート2~エイズ撲滅を願って [VHS]
個人的な好みですがPART1のほうが勢いがあって好きです。やっぱりフレディの歌声と比べてしまうわけでなんかちがうな~って感じになっちゃいました。
サウンド・ステージ [DVD]
とりあえず、鑑賞してプラントの達成感を強く感じた。「ブラック・ドッグ」などをPAGE PLANTの「UNLEDDED」のバージョンと聴き比べると極めて楽しい。THE STRANGE SENSATIONの演奏も素晴らしく、悠久のオーラをもって聴く者に訴えるものがある。プラントはいよいよ完全に全盛期のボブ・ディランに匹敵するカリスマ性と存在感を得たようだ。まるでディランとTHE BANDのコラボレーションを現代において再現しているかのようでもある。往年のジャズ系ミュージシャンがそうであるように高度な独自の音楽世界を個性豊かに確立したことをプラントも自負しているに違いない。国内盤のボーナスで収録されている「ヘイ・ジョー」もさることながらCDでは聴けないディランの「北国の少女」はファンならずとも聴いてほしい一曲だ。プラントの選曲のセンスの良さとプラントらしい解釈が好印象である。
幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)
自分もある意味プラントハンター(写真撮影のみ)かなと思いますが、植物に興味のある人には、他の外国人による日本論とは違った楽しみ方ができる。
桜田門外の変の数ヶ月後に来日し、滞在中に生麦事件が起きている。結構、外国人居留者としては危険が伴っていたのに、結構熱心に植物をコレクトしている。
植物学・博物学という学者肌のせいか、人柄のせいか、白人至上主義的な偏見は少ない。
多くの植物名と学名が登場しており、翻訳者の苦労がしのばれる。
なお、観葉植物への関心がそそがれ、木本の記述が多かったが、草本の紹介があるともっと楽しめたかもしれない。
ノー・クォーター [VHS]
PAGE PLANTはあくまで一時的なユニットだった。94年当時は「NO QUARTER」を懐古主義的作品として敬遠していた準ZEPファンを尻目にわれわれ純ZEPファンは真摯にその活動を見守ったものだ。WAKING INTO CLARKSDALEの「HOUSE OF LOVE」でボンゾか?と思わせておいてあっという間に解散(?)してしまったのも潔い。既にZEPの曲としてはあまりにも有名になりすぎていた「俺の罪」はもともとブルースの古典を彼らなりに調理して男っぽいロックに仕上げてPRESENCEのB面1曲目を色どったわけだが、PAGE PLANTはそれを再現せずにまったく別の曲としてセルフカバーした。この手法には感嘆せずにはいられず、本DVDにのみ収められた同じくブルースの古典「WHEN THE LEVEE BREAKS」と彼らの金字塔「BLACK DOG」は、同様の手法でデフォルメしPAGE PLANTの音楽性の幅広さを誇張した。
レイジング・サンド
誰がこの二人の組みあわせを創造しただろう。ロバート・プラントが、ジョン・ポールやジミーの誘いを蹴ってまで執着したというだけある近年稀に見る傑作である。アメリカではすでにセリーヌ・ディオンやホイットニーヒューストンと肩を並べる歌唱力と評価されていたアリスンだが、彼女をパートナーとして選んだ(映像では完全にロバートが請いているが)と知ったときどのようなパフォーマンスと音楽観を描いているのか想像もつかなかった。だが蓋を開けてみるとその無理のない斬新さと完成度の高さにはただただ驚愕するばかりである。ロックの重厚華美なアンサンブルやカントリーのちょっと泥臭い享楽感が互いに補完しあいながら、全く新しいジャンルの扉を開けたというそんな記念すべき作品だった。アコースティックをベースにフィドルやマンドリン等さまざまな楽器を子気味よく取り入れ、民族音楽的なリズム感や、ときに神秘的な静寂感を織り交ぜ、二人の偉大なるキャリアに裏打ちされた豊かな音楽性と、ボーカリストとしての矜持が隅々まで見事に行き届いる。それをあのTボーン・バーネットがまた意表をつくようなテクニックを駆使して、憎いほどに見事に仕上げている。類稀な才能と積み重ねたキャリア、それに何より流行や時代性を超えた真摯な創造志向が生み出した正に奇蹟の1枚である。