惑星ソラリス [DVD]
ソラリスの海の意思にもとづいてうまれた人形の振る舞いに、2つ強く印象にのこったところがあります。
1つは、図書館の場面。
1つは、壁を打ち破る場面。
この受容と開放の対比が、おそらくは、七人の侍の菊千代が赤子を抱いて叫ぶ場面と、同様の強さを持ちます。
「今」は「今」でしょう。回想ではないです。
また、この映画が父性の作品なのか、母性の作品なのか、意見のわかれるところです。
のちに、米国製のソラリスで、博士が男性から女性にかわっているのを観たときに、ソダーバーグ監督の姿勢を信用しました。
宇宙幻想(紙)
富田氏の音楽作りは、原曲の古典音楽を、いかに聞き手のイメージを
膨らませる色彩豊かな音色の紡ぎ物に仕立て上げるか、にあると思える。
従って、変幻自在な音の集合体となってあらたに構築されなおした
サウンドコラージュとも言うべき彼の音楽は、原曲から大きく離れて、
初期の代表作「月の光」から最近のスペースサウンドまで、リズム、
ユーモア、幻想、ファンタジーなどさまざまな趣向を凝らした音の
空想旅行に誘ってくれる。
シンセサイザー音楽がジャンルとしてレコード店のコーナーとなった
あの頃からもう30年以上経とうとしている。あのころのアーティスト
たちで今もまだCD店に置かれているのはほんのわずか。
彼が「生き残っている」のは、無限に「在庫」のあるオリジナルを編曲して
彼が新たに創造した「トミタヴァージョン」が、夢とロマンにあふれた、人間の
体温を感じさせる音楽になっているからだと思う。
このCDでは、「ソラリスの海」に特に感動する。
ノスタルジア [DVD]
タルコフスキーが言っていることで興味深いのは、
「映画においては、説明は必要ではないのだ。そうではなく、直接的に感情に作用を及ぼさなくてはならないのだ。こうして呼び覚される感情こそが思考を前進させるのである」という言葉。
タルコフスキーの書いたものを読むと、実に内省的、宗教的な、本物の芸術家の声を聴くような深さと、それゆえの深刻さとを感じる。
それは時に悲劇的にも思われ、彼の精神の内部に関わるのはとても重苦しいような、敬遠したいような気持ちにも襲われるかも知れない。
「ノスタルジア」という映画の語源は、ロシアでは、病に近い望郷の念を言うようで、タルコフスキーによれば「死に至る病」となるようである。
この映画と「惑星ソラリス」や「ストーカー」、この3本が最も印象にあるのだが、そのどれもがその--ノスタルジア--を語っているように思う。
それは彼の言うように、説明されえない、時にあまりに個人的、内宇宙的な、世界への宗教的な想いであったり、修行僧の懺悔のような告白のようであったりする。
「ノスタルジア」の、観客まで息苦しくなってくるような緊迫した長い凝視を要求する映像で描かれる、登場人物の世界を救済するという個人的な儀式・・。
模倣しようとすればきっと恥ずかしくなる、その驚くべき映像の内的必然性から生まれる独自性。
彼の最後の作品の題名が、彼の内面の内へも外へも、彼の精神の運動のすべてを言い表わしているような気がする。
それは「サクリファイス」、犠牲という言葉である。
タルコフスキーを想うと、むかしむかし、西洋の厳格な修行僧が同時に求道的な芸術家であったような時代の、そういう時代に存在したかのような男のシルエットが浮かんでくる。
ソラリス (特別編) [DVD]
テーマ曲は BWV639 の主イエスキリストよ、われ汝に呼ばわるです。ぼくはオルガンが好きで、こないだ偶然オイゲル・ビュッヒライン BWV599-644 を買ったんですが、それにテーマ曲が入ってました。2分ちょっとの曲です。アマゾンでは バッハ:オルガン作品全集第10集 と検索すれば出てくると思います。